NHK朝ドラ『花子とアン』『ごちそうさん』『あまちゃん』…ストーリーを勝手に解釈&裏読み … ほぼネタバレ…
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2014年09月16日 (火) | 編集 |
第145回

「曲がり角を曲がった先に何があるのかは分からないの。

でも、それはきっと … きっと、一番良いものに違いないと思うの … 」

< 平和になる時を待っているのではなく、今これが私のすべきことなのだ。

その思いにつき動かされ、翻訳をはじめた花子でした。

空襲の町を逃げながら、花子は祈りました。

生きた証しとしてこの本だけは訳したい … >

* * * * * * * * * *

一夜明け、激しい空襲の中、必死に逃げ延びた花子と美里は、ももと直子と共に大森の町に戻って来た。

くすぶる煙で目の痛みを訴える美里と直子を励ましながら我が家を目指した。

「大丈夫、もう少しだから歩こう」

< 甲府に疎開させていた直子が東京に帰ってきた矢先の空襲でした >

家に着いた花子たちは愕然とした。

焼夷弾によって、工房がすっかり焼け落ちていたのだ。

地面に黒こげになった青凛社の看板がころがっていた。

* * * * * * * * * *

その時、住居から英治と旭が飛び出してきた。

「美里、花子さん!」

それぞれの家族が抱き合い、お互いの無事を喜んだ。

「皆、無事でよかった … 恐ろしかっただろ?」

しかし、かよの安否が分からない。

英治と旭も少し前に何とか辿り着いたばかりだと言った。

働いていた軍需工場が爆撃されて、命からがら逃げてきたのだ。

一同はふたたび、無残な姿になった工房を見つめ、しばし立ち尽くした。

* * * * * * * * * *

不幸中の幸いか、住居の方は何とか火災を免れていた。

しかし、花子の書斎の被害は大きかった。

「お姉やんの大切な部屋がこんなことになるなんて … 」

ももは嘆いたが、他の部屋にまで燃え広がらなかったことがせめてもの救いだった。

それに、花子の大事な本は、雪乃たちが乗り込んできた後に、英治が防空壕に隠しておいたので難を逃れていたのだ。

* * * * * * * * * *

居間の方で人の気配を感じた花子が目をやると、かよが立っていた。

「かよ、無事だったのね」

花子たちは喜び、駆け寄ったが … かよの様子がおかしかった。

「 … お姉やん、私の店、焼けてしまったの」

目にいっぱい涙を溜めていた。

「あの辺は、全部燃えて何にも残ってない」

かよが命を賭けて守ろうとした店だった。

それがよく分かっている花子は涙ぐみ、かよのことを抱きしめた。

* * * * * * * * * *

一方、宮本家の付近は空襲の被害はほとんどなかった。

「配給、またお芋?」

うんざり顔の富士子に蓮子は言った。

「お母様はお芋好きよ … お芋にはね、お父様との思い出があるの」

一緒になった頃、龍一がよく焼き芋を買ってきてくれた話を聞かせたが、今の富士子の心には響かなかったようだ。

「私は何でもいいから、お腹いっぱい食べたい」

「富士子 … 」

「お兄様は、ちゃんと食べていらっしゃるかしら?」


そんな沈みがちな気分のふたりの前に何年かぶりに龍一が姿を現した。

「よかった、無事だったか … 空襲がひどいと聞いて、心配して戻って来た」

「 あなた … おかえりなさい」

「ただいま」


龍一はふたりのことを力強く抱きしめた。

* * * * * * * * * *

「 … そうか、純平は出征したのか」

蓮子から話を聞き、龍一は眉をひそめた。

「はい、この間一度だけ特別休暇で帰って来たんです」

「お父様がいてくださったら、お兄様喜んだでしょうに … 」


しかし、富士子の言葉を龍一は否定した。

「私がいても … あいつを喜ば出るようなことは何ひとつ言ってやれない」

すると、蓮子は自分もそうだったと言った。

「送り出す前の晩、純平に言われてしまいました。

笑顔で送り出してくれって」


その話を聞いて、龍一は目を閉じた。

* * * * * * * * * *

花子がすでに何枚か書き上げていた『Anne of Green Gables』の翻訳原稿のほとんどは肝心な部分が焼け焦げてしまっていた。

「せっかく翻訳した原稿が … 」

英治は肩を落としたが、花子は意外にも平然としていた。

「原稿はまた書きなおせばいいのよ ~ この原書と辞書がある限り、大丈夫。

何十回爆弾を落とされようと、私この翻訳を完成させるわ。

私に出来ることはこれだけだから … 」


そう言いながら、花子はすでに英治の目の前で翻訳作業を再開していた。

その逞しさに、英治は脱帽し、微笑みながら書斎から出て行った。

< 蓮子や醍醐は … 皆は無事だろうか?

花子は祈るような気持ちで翻訳を続けました >

* * * * * * * * * *

「今夜も空襲が来るんじゃないかしら?」

美里が心細そうに言った。

いつ空襲が来てもすぐに逃げられるように、枕元には防空頭巾を置いて、洋服を着たまま布団に入った。

「いつになったら、ゆっくり寝られるのかな?」

家を焼け出されたかよも、襖一枚隔てた部屋に布団を敷いて寝ている。

「どんなに不安で暗い夜でも、必ず朝がやって来る。

アンも言ってるわ … 朝はどんな朝でも美しいって」


花子は『Anne of Green Gables』に書かれてあった一節を引用した。

すると、美里は幼かった頃のように読み聞かせを花子にせがんだ。

「お母様、アンのお話して」

「いいわよ」


* * * * * * * * * *

花子は部屋の灯りを消して、スタンドの灯の下で『Anne of Green Gables』の原書を訳しながら読みはじめた。

「 …  昨夜はまるで、この世界がまるで荒野の様な世界の気がしましたわ。

今朝はこんなに陽が照っていて、本当にうれしいわ。

でも、雨降りの朝も大好きなの … 朝はどんな朝でもよかないこと?

その日にどんなことが起こるか分からないんですもの、想像の余地があるからいいわ」


花子が読む物語を美里だけでなく、英治とかよも耳を傾けていた。

偶然にも、その文章はまるで今の自分たちの境遇を知っていて、励ましているように聞こえたのだ。

* * * * * * * * * *

< 生と死が紙一重の中で花子は翻訳を続けました >

「 … 『名前は何ていうの?』

子供はちょっとためらってから、『私をコーデリアと呼んでくださらない』と熱心に頼んだ。

『それが、あんたの名前なのかい?』

『いいえ、あの、私の名前ってわけじゃないんですけれど、コーデリアと呼ばれたいんです。

素晴らしく優美な名前なんですもの』

『何を言ってるか、さっぱり分からないね。

コーデリアというんでないなら、何という名前なの?』

『 … アン・シャーリー』」


* * * * * * * * * *

「 … アンって私によく似てる」

物語の主人公アン・シャーリーと自分の共通点を見つけるたびに頬を緩ませる花子だった。

いつしか、アンのことがまるで自分の分身のように思えていた。

「てっ … 何を言ってるでえ ~ おらに似てるずら」

突然聞こえたその声に花子は驚いて振り返った。

何とそこには、子供の頃 … ちょうど、秀和女学校に入学した頃の自分にそっくりの少女が立っていた。

「ぐっどいぶに~んぐ、花子」

吉平方式の英語の挨拶を知っているその少女はもしかしたら …

「てっ … あなた、私 … はな?」

「はなじゃねえ、おらのことは花子と呼んでくりょう」


少女は少し怒ったように言った。

間違いない少女は花子自身だ。

「てっ … やっぱり私だ」

呆気にとられている花子に構わず、はなは仕事机に近づくと『Anne of Green Gables』の原書を指さした。

「その本、面白そうじゃんけ?」

「ええ … すごく面白いわよ」

「おらも読みてえ、ちょっこし読ましてくれちゃあ」


好奇心いっぱいのはなに花子は快く『Anne of Green Gables』を手渡した。

* * * * * * * * * *

「てっ … 英語じゃん、全部英語じゃんけ!

花子はこれ全部読めるだけ?」


目をまん丸にしてはなは訊ねた。

「ええ、読めるわ。

あなたが秀和女学校にいる時、こぴっと頑張って英語を勉強してくれたお蔭で、私今翻訳の仕事をしているの」


花子は少し自慢げに答えた。

「 … 村岡花子という名前で」

はなはうれしそうに笑った。

「村岡花子 … おらも頑張ったけんど、花子も頑張ったじゃん!」

「ええ、ありがとうごいす」


花子は自分に褒められて奇妙な気分だったが、何といっても自分のことは自分が一番よく知っているのだ。

「この本、どんな話か教えてくれちゃあ」

「ええ!」


* * * * * * * * * *

「 … 物語の舞台はカナダのプリンスエドワード島。

主人公は赤毛でソバカスだらけの女の子、アン・シャーリー。

産まれて間もなく両親を亡くして、孤児院に預けられたアンはふとした間違いで男の子を欲しがっていたマシューとマリラという兄妹のお家へやって来るの。

マシューは働き者で無口なお祖父さんなんだけど、アンのことがとっても気に入ってしまって、マリラにこう言われるの。

『マシュー、きっとあの子に魔法でもかけられたんだね?

あんたがあの子をこの家に置きたがってるということがちゃんと顔に書いてありますよ』って」


* * * * * * * * * *

『「そうさな ~ あの子は、ほんに面白い子供だよ」って … 』

「て ~ お祖父やんみてえ」


はなはうれしそうだ。

「そうなの ~ マシューは『well,now ...』っていうのが口癖なんだけど、日本語で訳すと、お祖父やんの口癖だったあの言葉がぴったりなの」

そう言いながら、花子は大好きだった周造の顔を思い浮かべていた。

「あなたとアンは似ているところがたくさんあるの。

アンは11歳の時にひとりでプリンスエドワード島にやって来るんだけど … 」

「おらが秀和女学校に入って時みてえに?」


花子は笑顔でうなずいた。

「そう、その日からアンの運命は大きく変わっていくの」

「て ~ アンって本当におらにそっくりじゃん」


はなは目をキラキラと輝かせた。

「本当に私たちにそっくりなの」

* * * * * * * * * *

「花子、このお話はいつ本になるでえ?」

はなは胸をわくわくさせながら訊ねた。

花子は顔を曇らせた。

「 … それは、分からないの。

本に出来るかどうかも分からないわ」

「ほれなのに花子はどうして翻訳なんしてるで?」


はなの疑問はごく当たり前のことだった。

「それはね、私の中にアンが棲みついていて、絶えず私を励ましてくれるから … 先の見えない不安な時でも、アンは決して希望を見失わず、こう言うの。

『曲がり角を曲がった先に何があるのかは分からないの。

でも、それはきっと … きっと、一番良いものに違いないと思うの』って」

「曲がり角の先」


花子とはなは微笑みあった。

窓から射しこむ春の光、緩やかな風がカーテンを揺らしていた。

< … ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月13日 (土) | 編集 |
第144回

< 空襲が激しくなる中、花子は家中の原稿用紙をかき集め、『Anne of Green Gables』の翻訳に取りかかりました。

そして、学徒出陣で陸軍に入り、訓練を受けていた純平が1年ぶうりに蓮子の元へ帰って来ました >

笑顔で出迎えた蓮子に純平は言った。

「特別休暇がもらえましたので」

それは、訓練を終えて、いよいよ戦地へと出征する日が近づいたということに他ならなかった。

* * * * * * * * * *

「この辺りは空襲で燃えなかったんですね。

東京で空襲が始まってから心配していました」

「今、何処にいるの?」


しかし、軍規のため母親にさえ赴任地を教えることは出来ないのだ。

「そう … いつまでいられるの?」

「明日の午後立ちます」


与えられた休暇はほんの僅かなものだった。

「じゃあ、今夜は泊まれるのね?」

「よろしいですか?」


純平はまるで他人行儀なことを口にした。

「当たり前じゃないの、ここはあなたお家ですよ」

すると、純平は少しためらいがちに訊ねた。

「父上は、あれから連絡はありませんか?」

「ええ」

「 … そうですか」


純平は龍一のことを気にしていたのだ。

結局、お互いに分かり合えないままだったことが心残りだった。

* * * * * * * * * *

「ねえ、お夕食は何がいいかしら?

手に入るものは限られているけれど … 」

「お母様の作るものであれば何でも」

「まあ、そんなお世辞まで言えるようになったのね?」


蓮子は努めて明るく振舞っていた。

* * * * * * * * * *

その後、蓮子が足を運んだのは、かよの店だった。

ここを訪れたのは、花子と決別した時以来のことだ。

「ごきげんよう … ご無沙汰しております」

「蓮子さん、本当にお久しぶりです」


再会を喜ぶかよに蓮子は言い難そうに切り出した。

「今日はお願いがあって参りました」

「はい?」

「入営している純平が、つい先ほど休暇で帰って参りましたの。

… お恥ずかしい話ですが、今晩食べさせてやるものが何もなくて困っているんです」


そこまでの話で、かよはすべてを察した。

「わかりました。

そういうことなら … ちょっと待っててくださいね」


蓮子に告げると、一度店の奥に姿を消した。

* * * * * * * * * *

一方、純平は村岡家に花子を訪ねていた。

「お母様、お変わりない?」

「お陰様で … 」


花子は純平に蓮子とは、しばらく会っていないことを打ち明けた。

「やはりそうでしたか」

純平は感づいていたのだ。

「母は以前、花子おば様のことをよく僕たちに話していました … 本当に楽しそうに。

でも、ある時から、パタリと何も言わなくなりました」

「ごめんなさい。

私たち、衝突してしまったの … お互い譲れないことがあって」


純平は寂しそうに笑った。

「皆、離れていきます。

うちは父も母も変わってますから … 」

「そんな … 」


花子は言葉に詰まってしまった。

* * * * * * * * * *

「母のことが心配です。

花子おば様、何かあった時は母を助けてやってください … お願いします!」


純平は畳に両手をついて頭を下げた。

「純平君 … 」

「どうしても、それだけを花子おば様にお願いしたくて」


戦場へ向かう純平が一番気がかりなのは母のことだったのだ。

「お邪魔しました」

仲違いした間柄であっても、花子ならきっと助けてくれる、純平はそう信じて席を立った。

「待って、純平君」

純平を引き留めた花子が台所から取ってきたのは、吉平が持たせてくれたブドウ酒だった。

「これ、今夜皆さんで召し上がって … お母様のお好きなブドウ酒よ」

「いいんですか、こんなに貴重なものを?」

「味は保証できないの。

甲府の実家の父が造ったブドウ酒だから」


何かあった時に役に立つかも知れないと、吉平が言った通り、その時は意外に早く来た。

「 … 遠慮なくいただきます」

* * * * * * * * * *

「純平君」

「はい」


花子は純平の顔を見つめ、そして視線を傍らにある歩の遺影に移した。

「うちの歩も生きていたら、あなたと同じように今頃兵隊さんになって出征していたはず …

あなたを送り出す蓮子さんの気持ちを思うとたまらないの」


花子には純平の姿が、成長した歩の面影と重なって見えて、胸が締め付けられる思いだった。

「お母様のために必ず帰って来なさい」

しかし純平はその言葉にうなずくことはしなかった。

「 … 母のこと、どうかどうか、よろしくお願いします」

念を押すように、花子に蓮子のことを頼んで深く頭を下げた。

* * * * * * * * * *

「どうしたんですか、こんなごちそう?」

蓮子が自分のためにこしらえてくれた鍋物を見て純平は目を丸くした。

「まるでおとぎの国から魔法使いがやって来たみたいでしょ?」

かよが用意してくれた材料のお蔭だった。

「お兄様、どうしたの?」

「何でもない、ただの休暇だ」


ちょうど帰って来た富士子が純平の姿に驚いた後、食卓の上の鍋にも驚いた。

「お鍋なんて何年ぶりかしら ~ もっとよく見たいわ」

富士子に代わって純平が明りを点けると、蓮子が新聞紙に包まった瓶が置いてあることに気づいた。

「これは?」

「ああ、大学の友人からもらってきたんだ。

今時珍しいだろう、ブドウ酒なんて」


純平は平然と答えたが、蓮子は腑に落ちない顔をしていた。

* * * * * * * * * *

「お母様は、もう飲まないんですか?」

夕食後も親子でワインを酌み交わしていたのだが、いつの間にか蓮子は飲むのを止めて純平の繕いものをはじめていた。

「何だか今日は胸がいっぱいで … 純平、召し上がれ」

「はい」


純平は湯呑に残っていたブドウ酒を飲み干した。

「ああ、美味い」

蓮子の顔を見てニッコリと笑った。

「 … そのブドウ酒は甲府のではないかしら?」

黙り込んだ純平を見て、蓮子は確信を持った。

「そうなのね?」

「実は今日、花子おば様に会って来ました」


蓮子は動揺を隠し平静を装った。

「そう … はなちゃん、元気だった?」

「はい、お母様のことお願いしてきました」


純平は包み隠さず話しはじめた。

「花子おば様に言われました。

お母様のためにも、無事に帰って来なさいと …

でも僕は、お母様や富士子のために戦って死ぬなら、悔いはありません」


清々しいほどの笑顔だった。

* * * * * * * * * *

「純平 … 親より先に死ぬくらい、親不孝なことはないのよ」

蓮子は涙を堪えて言った。

「お母様 … そんなこと言わないでください。

どうか、明日は笑顔で送り出してください」


* * * * * * * * * *

別れの時はやってきた。

「お母様行って参ります … 」

蓮子は純平に言葉を返すことも出来ずにただ見つめるだけだった。

「お元気で」

純平はそんな蓮子に向かって敬礼した後、歩き出した。

「純平!」

しばらく歩みを進めた純平の背中に向かって蓮子はようやく声をかけた。

ハッとして振り向く純平。

その目に懸命に笑顔を作った母の姿が見えた。

「武運長久を祈っています」

純平は蓮子の方に向き直ると力強く答えた。

「はいっ!」

笑顔で敬礼してみせると、踵を返して再び歩きはじめた。

蓮子は、涙でくしゃくしゃになった顔でその背中をいつまでも見送った。

* * * * * * * * * *

1945年(昭和20年)・4月15日。

その夜も、花子は『Anne of Green Gables』の翻訳を熱心に続けていた。

「曲がり角を曲がった先に何があるのかは分からないの。

でも、それはきっと … きっと、一番良いものに違いないと思うの … 」


突然、空襲警報のサイレンが聞こえてきた。

「美里、美里!」

花子は、美里の名を呼びながら、居間のラジオのスイッチを入れた。

『東部軍管区司令部発表 … 22時15分現在、敵機の第一目標は相模湾より逐次、帝都南西部地区に侵入する模様であります … 』

「お父様は?!」


美里が居間に駆け込んできた。

「夜勤で遅くなるの」

頭上に爆音が響き、花子は窓のカーテンを開けて、夜空を見上げた。

無数のB29が群れをなして飛んでいる。

ふたりが慌てて防空頭巾を被っている時、書斎の窓ガラスが突然砕け散った。

* * * * * * * * * *

「お母様!」

「美里、大丈夫? … 逃げましょう!」


振り返ると、書斎のカーテンが煌煌と燃えていた。

その火の粉が、書きかけの『Anne of Green Gables』の原稿の上に落ちた。

花子は駆け寄り、座布団を叩きつけて火を消そうとした。

しかし敵わないと知ると、原書と辞書を抱えて、書斎を飛び出した。

* * * * * * * * * *

空襲の中、逃げ惑う人々。

花子は美里と自分の頭巾に防火用水の水を浸し、そして火の粉が降る街並みを抜けて走った。

夜空を紅蓮に染めて燃え上る炎、空からは無数の焼夷弾が降ってくるのが見える。

< 焼夷弾が雨のように降る街を逃げながら花子は祈りました。

生きた証しとして、この本だけは訳したい … 花子の祈りは届くのでしょうか?

… ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月12日 (金) | 編集 |
第143回

< 昭和19年11月24日、武蔵野の軍需工場とその付近が攻撃され、品川、荏原、杉並にも爆弾が落とされました >

避難していた防空壕から出てきた花子とももは、青空を覆い尽くすほどの黒煙を目の当たりにして立ち尽くした。

< ついに東京が戦場となり、命を奪われる危険を人々は身をもって知ったのです >

* * * * * * * * * *

村岡家の前の通りは空襲から逃げてきた人たちが行きかい騒然としていた。

花子とももは軍需工場に働きに出ている英治と旭の安否が気になって、家の前に出て人混みの中にその姿を探した。

「花子さん!」

花子たちを見つけた英治と旭が駆け寄ってきた。

「よかった、ふたりとも無事で」

「おかえりなさい」


夫婦同士が手を取り合ってお互いの無事を喜びあった。

「花子さん、寝てなきゃだめだろう」

「だって、心配だったから … 」

「ご覧の通り、僕らは無事です」


英治も旭もかすり傷ひとつなく、
かよの店も被害がなかったことを知り、花子はホッと胸をなで下ろした。

* * * * * * * * * *

その晩、花子は英治に訊ねた。

「ねえ、英治さん。

もし明日、死んでしまうとしたら、英治さんは何をする?」

「どうしたんだよ、急に?」

「今日、防空壕の中で爆弾が落ちる音を聞いていて思ったの。

明日も生きているとは限らない … 今日が最後の日になるかも知れないって」


すると、英治は少しも迷うことなく答えた。

「そうだな、今日が人生最後の日だとしたら … 僕は花子さんが翻訳した本を読みたいな」

「明日死んでしまうかもしれないのに?」


英治はうなずいた。

「うん、他には何にもしないで、1日中読んでいたい」

先日の熱烈な手紙といい、英治はこの年になっても花子に対する愛情表現にためらうことはなかった。

花子の方が照れ笑いしてしまったが、やはりうれしかった。

「君は?」

「私は … 」


* * * * * * * * * *

書斎で『Anne of Green Gables』の原本を手に取った花子は、スコットからこの本を託された時のことを思い返していた。

「あなたに渡したい本があります」

花子はおもむろにペンを取ると、傍らにあった原稿用紙の上に走らせた。

『Anne of Green Gables』

< 平和になる時を待っているのではなく … 今、これが私のすべきことなのだ … その思いに突き動かされ、花子は久しぶりの翻訳に胸を高鳴らせていました >

体調もすっかり回復した花子は、次第に『Anne of Green Gables』の翻訳に没頭していった。

* * * * * * * * * *

数日後、甲府のふじから美里が居なくなったことを報せる電話がかかってきた。

美里は「東京に帰ります」という書置きを残していなくなったというのだ。

* * * * * * * * * *

花子とももは家の外に出て辺りを見回した。

「花子さん、美里が居なくなったって?!」

連絡を受けた英治が職場から戻って来た。

「ええ、ひとりで甲府の家を出たみたいで」

今にも取り乱しそうな花子の肩を英治はしっかりと掴んだ。

「美里ちゃん!」

路地の先からこちらに向かって走って来る美里の姿をももが見つけた。

「お父様、お母様!」

両親の姿を見つけてうれしそうに駆け寄った。

「美里 … よかった」

「美里!」

「ただいま帰りました」


明るく答えた美里の頬をももがいきなり叩いた。

「お母様がどれほど心配したと思っているの?!」

すごい剣幕で美里を叱った。

「もも … 」

「 … ごめんなさい」


美里は打たれた頬を押さえ、涙を溜めて謝った。

ももの思いもよらぬ行動に花子は驚くばかりだた。

そして、美里に手をかけてしまったもも自身も呆然としていた。

* * * * * * * * * *

家に入って、少し落ち着きを取り戻した美里に英治は訊ねた。

「どうして黙って勝手に帰ってきたりしたんだ?」

「お母様がご病気だって聞いて、ずっと心配だったの。

それに、東京に爆弾が落とされたって、皆が話してるの聞いて、私、じっとしていられない程心配になって。

… ごめんなさい」

「東京は、次またいつ空襲があるか分からないんだぞ」

「それでもいいわ … 私どうしてもお母様の傍に居たいの。

私、お父様やお母様と離れたくない!」


美里は、ふたりに懇願して頭を下げた。

英治も花子もそんな美里がいじらしかった。

だが、願いを聞き入れるということは美里を危険にさらすことでもあるのだ。

* * * * * * * * * *

「美里、お母様からも大切なお話があります」

「大切な話?」

「さっき、もも叔母様が美里を叩いたのは、心から心配してたからよ」


幼い美里には理解できなかったかもしれない。

「あのね、美里 … 」

英治は花子が美里に何を言おうとしているのか分かった。

それでも止めようとはせずに花子にすべてを任せたのだ。

「もも叔母様は、美里の本当のお母様なの」

「えっ?」


美里は目を大きく見開いて花子の顔を見た。

「美里の本当のお母様とお父様は、もも叔母様と旭叔父様なの」

愕然とした美里は、すがるように英治を見た。

「本当のことだよ」

その言葉にその目を一層見開いた。

* * * * * * * * * *

「突然こんな話してごめんなさい。

本当は美里がもっと大人になってから話そうと思っていたわ」


美里は再び花子を見た。

「でも、それではいけないと思い直したの。

戦争は今よりもっとひどくなるかも知れない … 空襲でいつ命を落とすかもわからない。

だから、今のうちに美里にきちんと話をしようと思ったの」


そう言いながら、花子は美里の手を取った。

「美里、よく聞いて。

お父様も、お母様も、美里を本当の子供だと思っているわ。

美里を心から愛してる」


花子は諭すように話した。

「美里、これからも僕ら家族だ」

英治は優し目で美里を見た。

美里は、ふたりを見て目を伏せた。

そして、立ち上がると黙ったまま居間から出て行ってしまった。

「美里 … 」

英治と花子は顔を見合わせた。

美里は分かってくれただろうか …

* * * * * * * * * *

その集団は、ある日突然やって来た。

いつものように翻訳をしていた花子が手を止めて、ももと共に応対に出ると、玄関には割烹着にタスキをかけた女性たちが立っていた。

かよが所属する、雪乃を中心とした水商売を生業にしている女性の集団だ。

当然、かよの姿もあった。

「かよ姉やんどうしたの?」

ももが訊ねると、先ず口を開いたのは雪乃だった。

「村岡花子さんですね」

「はい」

「お姉やんに訊きたいことがあって来たの」


かよは少し顔を強張らせている。

「村岡さんは英語の仕事をしていて、敵国にもたくさんお友達がいると聞きまして」

雪乃はまるで尋問でもするかのように訊ねた。

「お姉やん、隠れて変なことしてないよね?」

「ええ … 外国の友人たちは皆帰国して、もう連絡も取っていませんから」

「それなら皆さんに納得してもらうために見てもらってもいいよね?」


かよの言葉が終わるか終らないうちに雪乃が家に上がり込んできた。

「拝見させていただきます」

あれよあれよという間に全員が雪乃の後に続いた。

* * * * * * * * * *

勝手に上がり込んだ雪乃たちは電話の前に置いてあった住所録をめくりはじめた。

官憲でもあるまいに、家の中のものを調べる気なのだ。

ハッとした花子はその場を離れ、書斎に向かった。

* * * * * * * * * *

障子を閉め、仕事机の上に広げてあった『Anne of Green Gables』の原書と英英辞典を、傍らに置いてあったゆりかごの中に隠した。

それが精一杯だった。

障子を開けて、雪乃たちが入ってきたのだ。

「ここがお仕事部屋ですね」

雪乃は本棚を見て、顔をしかめた。

「村岡さん、敵性語の本、まだこんなにたくさんお持ちだったんですね」

床に積まれた本も殆どが洋書だった。

「お姉やんが英語の本を処分すれば、皆納得してくれると思う」

「そんな … 」


かよはそう言ったが、花子にとって無理な相談だ。

「はな、上がるぞ!」

その時、玄関から聞こえてきたのは、吉太郎の声だった。

* * * * * * * * * *

「あっ、兄やん大変なの ~ かよ姉やんが今、婦人会の人たち連れてきて … 」

慌てて出迎えたももを吉太郎は制した。

「それ聞いてきたんだ」

* * * * * * * * * *

敵性語の本を持っているなんて国賊だと、女性たちは花子を罵った。

「空から爆弾を落として、子供だろうが年寄だろうが、誰彼かまわず殺すような鬼畜米英の本ですよ。

そんなものをまだ大切に持ってるなんて … この非国民」


雪乃と花子が対峙している間を割って吉太郎が入ってきた。

「だから、こんな本は早く捨てろと言っただろ!」

花子を叱りつけた。

「兄やん?!」

「今すぐ敵性語の本を焼かせましょう。

ここにある本は自分が全部焼いて処分します」


吉太郎は、花子には信じがたいことを雪乃たちに言った。

* * * * * * * * * *

「兄やん、止めて!」

庭に置いた一斗缶にくべた炎の中へ、本を投げ入れようとする吉太郎のことを花子は懸命に止めた。

「離せ、離せ!」

「止めて、止めて、ダメ!」


しかし、吉太郎は腕にすがる花子を容赦なく振り払った。

その様子を見ていた、雪乃たちは納得して村岡家から立ち去っていった。

「兄やん、待って … 」

雪乃たちが居なくなったのを確認した吉太郎は力を緩めて本を花子に返した。

「 … 兄やん?」

「また、ああいう連中が来る。

密告者も多い … こういうものを持っていたら、スパイだと疑われるということだ」


追い払うより、処分させるところを見せて納得させて、自ら立ち去らせるために打ったひと芝居だったのだ。

* * * * * * * * * *

「そんなに本が大事か?」

吉太郎は憤然とした口調で花子に訊ねた。

花子はうなずいた。

「今の私には、命よりも大切なもの」

「理解できん … おら、もう守ってやれん」


吐き捨てるように言うと、吉太郎は帰って行った。

後を追うように、かよも無言で出て行った。

* * * * * * * * * *

夜になり、取りあえず本棚の洋書は英治が木箱にしまって隠した。

花子は … 昼間、あんなことがあったばかりなのに、『Anne of Green Gables』の翻訳を再開していた。

< この原書と辞書だけは手元に残し、花子は祈るような気持ちで翻訳を続けました >

* * * * * * * * * *

1945年(昭和20年)1月。

< 学徒出陣で陸軍に入り、訓練を受けていた純平が1年ぶりに帰って来ました >

「ただいま帰りました」

純平の突然の帰宅を、蓮子は驚きながらも喜んだ。

「まあ、純平お帰りなさい」

「特別休暇がもらえましたので」


それがどういう意味を指すのか、蓮子は知っていた …

< … ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月11日 (木) | 編集 |
第142回

< 昭和19年夏、戦況はますます悪化し、花子は子供たちを甲府に疎開させることにしました >

1944年(昭和19年)・9月。

< 二学期が始まり、美里と直子は今日から甲府の国民学校に通い始めました >

転校一日目の学校を終えたふたりは朝市に送られて家に帰って来た。

美里も直子も顔が泥だらけだった。

今日は生徒全員で出征で男手がなくなった農家の手伝いをしてきたのだ。

「ふたりとも畑仕事なんてはじめてだから大変だったでしょ?」

「楽しかったよ」


直子は元気よく答えたが、美里が浮かない顔をしているのが花子は気にかかった。

* * * * * * * * * *

ちょうどそこへ野良仕事を終えたふじたちが戻って来た。

「ああ、ふたりともお帰り」

「ぐっどあふたぬ~ん、美里、直子」


吉平は懲りずに孫たちに英語で挨拶をした。

「お父、今は英語は控えた方がいいと思うの」

「おお、何でだ?」


またもや花子に注意された吉平は不機嫌な顔で訊きかえした。

「学校でも英語は使わんようにって、教えてるですよ」

朝市に説明されても、吉平は納得がいかないようだ。

「なんぼ敵性語だからって言ったって、別に英語は禁止なんて法律が出来た訳じゃねえら。

ほれなのに、英語を片っ端から妙な日本語にして …

野球のセーフは『よし』だの、サイダーは『噴出水』だの」


すると一緒に帰ってきていたリンが口を挟んできた。

「婿殿がほんなこん言ってるから、村の人らがいい顔しんだよ ~

ただでさえここんちは、親父も娘も西洋かぶれだて、ロクな噂されちゃいんだに」

「えっ?!」


花子が顔色を変えた。

「お母っ!」

朝市が口を滑らせたリンのことをにらみつけたが、後の祭りだった。

「ふんだけんど、本当のこんじゃん!」

* * * * * * * * * *

「言いてえ奴には言わしておきゃあいいだ」

吉平は少しも気にしてはいなかった。

「うちん中ぐれえ好きに英語しゃべったって、罰や当たらん」

「ほんなこん言ってちゃ、ほのうち石投げられても知らんよ」


リンの言葉を聞いた美里は目を伏せてしまった。

「投げてえ奴は、石でも何でもなげりゃあいいだ」

「 … うちは石を投げられて、窓ガラスが割れました」


* * * * * * * * * *

皆の視線が美里に集まった。

「 … 私が翻訳の仕事なんかしてるから、白い目で見られて … ふたりに怖い思いをさせてしまったの」

「ほうけ … 」


花子から打ち明けられた吉平は自分の迂闊さを後悔した。

* * * * * * * * * *

< 甲府で美里たちと数日過ごした花子は、離れがたくなる前に東京へ戻ることにしました >

帰り支度をはじめた花子に吉平とふじが米と味噌を用意して渡した。

「て ~ こんなにもらったら、お母たちが困るじゃん」

「ああ、うちは田舎だから、何とでもなるだ」


遠慮する花子にふたりは笑った。

「ももやかよにも食べさしてやってくりょう」

「ああ、ほうだ!」


吉平は思い出したように土間の隅に積んである藁の中からブドウ酒のビンを取り出してきた。

「これも、持ってけし」

「お父、それは … 」

「いいだ、いいだ ~ 何かあった時に役に立かも知れんら」

「ありがとう」


* * * * * * * * * *

「美里、直子ちゃん、お祖父やんやお祖母やん、それから朝市先生の言うことをよく聞いていい子にしてるのよ」

「はい」


直子はすぐに返事したが、美里は少し間があった。

そこへ、直子の同級生たちが川に行って遊ばないかと、誘いにやって来た。

「おばちゃま、行って来ていい?」

「ええ、いっぱい遊んでいらっしゃい」


花子が許可すると直子はうれしそうにうなずきながら、美里のことを誘った。

「 … 私はいい」

甲府の学校に直子はすぐに打ち解けたようだが、美里はどうにも馴染めないらしい。

* * * * * * * * * *

「お母様、私も一緒に東京に帰ってはダメ?」

直子が出かけるとすぐに美里は花子に訊ねてきた。

「美里 …

東京のお友達も近いうちに皆、疎開してしまうのよ。

東京に帰るよりもここで新しいお友達を作った方が楽しいわよ。

直子ちゃんの面倒もこぴっと見てあげてね」


美里はさみしげに笑うと、うなずいてみせた。

しかし、花子が汽車の時間が近づいたことを伝えると、すがるような目で花子を見つめた。

「お母様 … 」

「美里、お手紙書くから、美里も書いてね」

「ええ、書くわ … お父様とお母様に」


花子は、吉平とふじに子供たちのことを託すと、後ろ髪を引かれる思いで甲府を後にしたのだった。

* * * * * * * * * *

その晩の村岡家は、花子が持ち帰った白米を炊いて、もも夫妻と共に食卓を囲んだ。

「銀飯なんて本当に久しぶりだな ~ 」

しみじみと言った旭にももが釘を刺した。

「明日からまた代用食ですよ。

お姉やんが持ってきてくれたお米や味噌は、大事にとっておかないと」

「分かってるよ … いつまでこんな生活が続くんですかね」


旭でなくても愚痴りたい気分だろう。

「花子さん、どうしたの?」

英治は、ふと花子の様子がおかしいことに気づいた。

食が進まず箸を置いたままで、頬が異常に赤く、見るからに辛そうだ。

「ああ、ちょっと疲れてしまって … 」

「重い荷物持って汽車に揺られたから?」


ももが心配そうに花子の顔を覗きこんだ。

「大丈夫?」

「ええ … ちょっと先に休ませてもらうわ」


花子は席を立とうとしたが足元がふらついて、倒れてしまった。

* * * * * * * * * *

「花子さん?!」

「お姉やん?!」


英治は駆け寄って、花子の額に手を当てた。

「すごい熱じゃないか … 」

* * * * * * * * * *

往診に訪れた医者の診たてによると、花子の症状はジフテリアによるものだった。

「感染の危険がありますから、症状が落ち着くまで、奥さんの部屋には絶対に誰も入らんこと」

< ジフテリアというのは、心臓麻痺や神経麻痺を起して、死に至ることもある病気です >

* * * * * * * * * *

甲府に英治からの手紙が届いた。

「ふじ、はなが病気になったらしい … ジフテリアちゅう、人に伝染る病気だと」

容態は落ち着いたとは書いてあると吉平は言った。

「お母様、ご病気なの?」

ちょうど学校から戻った美里が入口で、その話を耳にしてしまった。

「心配しなんでいい。

お父様が優秀なお医者さんを見っけてくれたらしい ~ 必ずよくなるら」


吉平は笑って安心させようとしたが、母を思う美里の不安は消えなかった。

* * * * * * * * * *

その夜、美里はひとり布団を抜け出して、ランプの灯りの下、花子への手紙を書いた。

『お母様、ご病気だと聞きましたが、お加減いかがですか … 』

* * * * * * * * * *

まだ少し咳き込むことがあるが、熱も下がり、病床に体を起こすことが出来るまでに回復した花子の元に美里からの手紙が届いた。

友達も出来て、毎日楽しく学校で勉強しているという文面は、美里のことが気がかりだった花子を安心させた。

「美里、元気でやってるのね … よかった」

< 美里は花子を心配させたくなくて、そう書いたのですが … >

* * * * * * * * * *

「美里ちゃん、ずっと学校に馴染めんみてえで … 今日も東京もんってこんでからかわれたらしくて、校庭の隅で泣いてたです」

朝市に伴われて帰って来た美里はただ泣いているだけだった。

「ほうか … 」

美里の悲しげな泣き顔を見て、吉平とふじは胸が痛んだ。

「今まで気づいてやれなんですみません」

「朝市のせいじゃないさ ~

美里ちゃんは優しいから、きっと東京のお母の病気のこんが心配で心細かっただよ」


ふじが優しく頭を撫でると、美里は堪え切れずに抱きついてきた。

誰にも話せず、ひとりでじっと耐えていた美里が不憫で、ふじはしっかりと抱きしめた。

* * * * * * * * * *

「 … 花子さん、具合はどう?

お粥作ったんだけど」


いまだに医者から許可が下りてはいないため、英治は部屋の外から声をかけた。

「ありがとう、英治さん」

英治は障子を開けると、お粥の乗った盆を部屋の隅に置いた。

花子の顔を一瞬見ただけだった。

再び閉められた障子の向こうから英治は訊ねた。

「何か欲しいものはない?」

「あ … じゃあ、あの本を」

「Anne of Green Gables ?」

「ええ」

「わかった … 後で持ってくるけど、まだ無理しちゃダメだよ」


花子はお粥が乗った盆の上に封筒が置いてあるのを見つけた。

「 … これ?」

「後で、気分がよくなった時にでも読んで」


英治は少し照れて言うと部屋の前から去って行った。

花子は眼鏡をかけると、すぐに封筒から取り出した手紙に目を通した。

「 … 愛しい花子さん。

ひとつ屋根の下に居ながら、君に会えないとは … 僕らを遮る障子が憎い」


熱はすっかり下がったはずの花子の頬が赤く染まっていた。

* * * * * * * * * *

1944年(昭和19年)11月。

< 二ヶ月、病気と闘った花子は随分回復しました >

ようやく隔離からも解放された花子は、寝間着のままだが居間のこたつに座って読書をしていた。

「お昼ご飯出来たよ」

ももがお粥を運んできた時のことだった。

突然、けたたましく鳴り響くサイレンが聞こえてきた。

「 … 空襲?」

今まで訓練でしか聞いたことのないそれは空襲を報せるサイレンだった。

「お姉やん、逃げよう!」

ももが防空頭巾を取って、花子に渡した。

「待って、辞書を持っていかないと … 」

「私が取って来るから、お姉やんは先に防空壕に入って」


* * * * * * * * * *

ももの言うことに従って、読んでいた『Anne of Green Gables』を手に花子は防空壕のある庭へ飛び出した。

ふと上空を見上げると、何十機いや何百機もの敵機が高い空を飛んで行くのが見えて、思わず足が止まってしまった。

* * * * * * * * * *

辞書を抱えて、防空壕の戸を開けたももは中に花子が居ないことに気づいた。

「お姉やん、早く!」

玄関の前で空を見上げていた花子に叫んだ。

ふたりは慌てて防空壕へと逃げ込んだ。

ずしんずしんと爆音が防空壕の中まで響いてくる。

「お姉やん」

「大丈夫」


声を掛けあって身を寄せ合った。

* * * * * * * * * *

どれくらいの時間が経ったのだろう。

外が静かになり、空襲警報が解除されたようだ。

ふたりは防空後の戸を開けて外へ出た。

遠くの喧騒が微かに聞こえてくる。

その時、顔を上げたふたりが見たものは … 青空を覆い尽くすほどの黒煙が路地の先の建物の後ろから立ち上がっている光景だった。

< ついに東京も戦場となってしまいました。

この日、東京中の人々が戦争の恐怖を身をもって知ったのでした。

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2014年09月10日 (水) | 編集 |
第141回

< シンガポールに行っていた醍醐が帰って来ました >

「醍醐さん、帰っていらしたのね」

花子が亜矢子が無事に戻ったことを喜んだのも束の間だった。

「醍醐さん?!」

玄関先で佇む亜矢子は青ざめた顔で、花子を見るなり、その目をうるませた。

「はなさん … 」

「醍醐さん、どうしたの?」

* * * * * * * * * *

「 … ごめんなさい。

突然、泣き出したりしてしまって … はなさんの顔見たら、何だか安心して」


亜矢子は涙を拭った。

「いつお帰りになってたの?」

「少し前に … 昭南市は戦闘が終わっていたから安全だったわ。

結局、戦地らしい戦地は見ずに帰って来たの」


まるで何かに怯えているかのように、小声でうつむき加減に話す亜矢子にいつもの明るさの欠片もなかった。

「 … でも、戦争とはどういうものなのか、少し分かった気がするわ。

死って遠くにあると思っていたけれど、すぐ隣にあるものなのね」


* * * * * * * * * *

数日後、梶原が聡文堂を休業するという報告のため村岡家を訪れた。

「もちろん、再開したあかつきはまた原稿お願いします」

「はい是非 … 英治さんも青凛社を再開するつもりですから、印刷の方もぜひお願いします」


先はまったく見えない毎日だったが、梶原も花子たちも希望は捨ててはいなかった。

「あの … 醍醐さんとはお会いになりましたか?」

「そういえば日本に帰って来たようだね ~ 連絡あった?」

「ええ、先日いらして … 」


梶原は何か話を聞いたのか訊ねた。

花子の脳裏に亜矢子の虚ろな顔が浮かんだ。

「 … 余り話したくないようでした」

「そう … 」

「あんなに明るかった醍醐さんから表情がなくなっていて … 向こうで何があったんでしょう?」


* * * * * * * * * *

「ご家族から伺っただけなんだが、帰りの船で随分怖い思いをしたらしい」

梶原の話では、亜矢子が便乗していた船団がアメリカの潜水艦の魚雷攻撃に遭って、かなり沈められたようだった。

「沈んだ船の乗客は海に投げ出された。

だが、いつ次の攻撃が来るか分からない状況で、とても船を止めて救うことはできない … 」


亜矢子が乗っていた船は … 海に漂いながら、必死に助けを求める人々を見捨てて、逃げるしかなかったのだ。

「醍醐君、帰国してから部屋に閉じこもってしまって、誰とも会おうとしないそうだ」

花子はそんな状態の中、会いに来てくれた亜矢子に対して何もできなかった自分がはがゆかった。

< 醍醐から笑顔を奪ってしまうほどの戦争の悲惨さを、花子も初めて身近に感じたのでした >

* * * * * * * * * *

そんなある日、甲府から吉平がやって来た。

「おお、美里、直子 ~ ぐっどあふたぬ~ん!」

縁側でビンに入れた玄米を棒でついていた孫たちに向かって、いつもの調子で挨拶した吉平を花子は慌てて諌めた。

「ぐっとあふたぬ~ん、お祖父やん」

「直子ちゃん、英語は使っちゃダメ」


年長の美里も直子に注意したが、肝心の吉平は首をひねっていた。

「お父、とにかくよく来てくれたね」

花子に歓迎された吉平は庭の片隅を耕して作った僅かばかりの畑に目をやった。

「ほう、えらく立派な畑作ったじゃん ~ 草取りけ、ああ、精が出るな」

花子は雑草を手にしながら、気まずそうに答えた。

「あっ、ううん違うの … 今夜のお汁の具を探してて」

「えっ?!

話には聞いてたけんど、東京はほんなに食うもんに困ってるだか?」

「うん、配給の量も減ってきてしまって … 」


花子は顔を曇らせたが、吉平はうれしそうに笑った。

「ほれじゃあ、やっぱし持ってきてよかったじゃん」

* * * * * * * * * *

縁側に腰を下ろした吉平は懐から小袋を取り出してみせた。

「ほれ、米じゃ」

それもひとつだけでなく小袋は手品のように次から次へと現れた。

「白いお米だ!」

袋からこぼれた白米を見て直子が声を上げた。

「こんなにたくさん?!」

花子が驚いていると、今度は同じように小分けにして紐で結ばれた味噌が出てきた。

「味噌じゃ、ほれっほれっ」

* * * * * * * * * *

「お父?!」

その後、吉平は花子と英治を伴ってかよの店を訪れた。

「ふたりとも元気そうじゃんけ ~ 」

カウンターの中でせっせと働く、かよとももの姿を見て安堵したようだ。

「お陰様でなんとかやってる。

甲府は変わりない? お母は元気にしてる?」


ももの矢継ぎ早の質問にも笑顔でうなずいた。

「あっちは皆元気だ」

* * * * * * * * * *

「 … お父がね、お米と味噌を持ってきてくれたの」

花子が小声でかよに話すと、英治がそっと紙袋をカウンターに置いた。

「て ~ こんなにもらっていいの?」

「遠慮なん、しなんでいい。

ほれから、こっちはうちで造ったブドウ酒じゃん」


吉平の懐はどれだけ物が入るのだろう … 新聞紙で包んだビンを取り出した。

「えっ、お父、ブドウ酒なんて造りはじめたの?」

「声がでけえっ」


* * * * * * * * * *

ももの声に反応したかのように、客席を占めていた軍人たちが一斉に席を立った。

吉平は慌ててビンを隠そうとしたが … 取り越し苦労だった。

「かよさん、ごちそうさん」

食事を終えた軍人たちはそのまま店を出て行ってしまった。

* * * * * * * * * *

空いたテーブル席に移りながら吉平は言った。

「かよ、コップくりょう ~ このブドウ酒、英治君にも飲んでもれえてえだ」

「お父、そのブドウ酒、本当に飲めるの?」


花子は疑わしそうな顔で覗きこんだ。

「バカにしてもらっちゃあ困る … 徳丸んとこにゃあ負けんだぞ」

「それは楽しみです」


英治は吉平につき合って隣の席に座っている。

「いいけ、かよ … ブドウ酒、あんな軍人なんぞに出すんじゃねえぞ」

コップを運んできたかよに吉平は釘を刺した。

「え、なんで?」

「あいつら、甲州のブドウ酒、根こそぎ持っていって … どうせ夜な夜な宴会でもやってるずら」

「そんなこと軍人さんに失礼だよ。

お国のために働いてくださってるのに」


かよは反論したが、吉平は譲らない。

「ほりゃあ、俺たちも一緒じゃん」

「お父は何も分かってない!」


かよには珍しく声を荒げた。

「ふたりとも落ち着いて!」

ふたりの間にももが割って入り、英治はブドウ酒の栓を抜いて吉平に勧めた。

「さあ、お義父さん飲みましょう」

かよはプイッとカウンターに戻ってしまった。

「うん、これは美味いですね ~ 」

英治にぶどう酒を褒められ、吉平はご機嫌だ。

* * * * * * * * * *

「ああ、そうだ … 今日は、かよとももに相談があって来たの」

花子は思い出したように言った。

「相談?」

「お父がね、甲府に疎開して来ないかって」

「甲府には食いもんはある … 東京から疎開してきている人もいる。

食べ盛りのボコにためにも、皆で甲府に疎開してこうし」


花子は美里を甲府で預かってもらおうと思っていることをももに伝えた。

「8月には生徒たちの集団疎開の計画もあるみたいだから … 」

「そう … お姉やんはどうするの?」


ももに訊かれて、花子は自分は東京に残ると言った。

「英治さんも仕事があって東京を離れる訳にはいかないし、うちには大切な本もたくさんあるし …

かよはどうする?」

「私はいかない」


考える間もなくかよは答えた。

「何でだ ~ 大した配給もねえに、店やっていくのも苦しいら?」

確かに吉平の言う通りなのだが … かよにはこの店を離れたくない理由があった。

「私にとって、この店は命より大切なもんだ。

物不足で大変だけど、何とかやってく」


それを聞いて吉平も口をつぐんでしまった。

「私は東京に残って、この店を守る」

肉親であっても口を挟む余地がない、かよの固い決意だった。

* * * * * * * * * *

結局、甲府には、美里と直子、子供たちだけを疎開させることになり、花子がふたりを実家まで預けに連れてきた。

「お祖父、お祖母やん来たよ ~ 」

元気いっぱいで家の中に駆け込んできた直子を、ふじと吉平は喜び勇んで出迎えた。

「待ってただよ ~ 」

「ごきげんよう」


< 美里と直子が安東家にやって来るのははじめてです >

「さあさあ、上がれし、上がれし」

ふじが子供たちに家に上がるように促した。

「 … ふたりとも、その前に」

花子はふたりに目で合図した。

「はいっ!

今日からお世話になります ~ よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


しっかりと約束してきたのだろう、美里だけでなく直子も一緒に、ふじと吉平に向かってきちんと頭を下げて挨拶した。

* * * * * * * * * *

「て ~ よく出来たボコたちじゃんけえ」

感心しながら入ってきたのは、リンと朝市だった。

「美里ちゃん、直子ちゃん、よく来たじゃん。

ふたりの転校の手続きはもう済んでるだよ」


花子は朝市が学校に居てくれると思うと心強かった。

「朝市先生、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


ふたりに丁寧に挨拶されて、朝市は照れくさそうにお辞儀して返した。

「て ~ よく出来たボコたちじゃんねえ」

リンが繰り返し感心していると、吉平が得意げにうなずいた。

「ほりゃあ、俺の孫たちだから当たり前じゃん」

「また始まっと


ふじが茶々を入れ、一同が大笑いしているところに、甚之介と武の徳丸親子がやって来た。

* * * * * * * * * *

「ごめんなって」

「武 … 徳丸さんもご無沙汰しております」


武のくせにいつの間にか鼻の下に髭なぞ生やしていた。

「おう、疎開してきただけ?

東京はえらく大変みたいじゃんな」


花子とひとしきり挨拶を交わした後、甚之介は台所の方へと足を運んだ。

「徳丸さん、また何の用で?」

ふじが訊ねた。

「今日はおまんとこのブドウ酒、全部引き取りに来ただ。

隠してるブドウ酒、全部だしちゃあ!」


甚之介から頭ごなしに言われた吉平は不満ありありの顔でうそぶいた。

「てっ、何で知ってるだ?」

「軍に供出しろ!」


甚之介が言うには、敵の潜水艦を捜す機械を作るのに、ブドウ酒の成分が必要なのだそうだ。

そんな理由を耳にして、吉平は鼻で嗤った。

「ブドウ酒で潜水艦を捜すだとお?!」

< てっ、ブドウ酒はそんな使い道もあったんですね? >

「この非国民があ!」

「ああ、供出すつのは当たり前じゃんけ!」

「さっさと渡せ!」


親子そろって、吉平を責め立てた。

* * * * * * * * * *

「渡せねえ!」

「お父!」

「あんたまたほんなこん言って!」


花子とふじが嗜めたが、吉平は聞かない。

「さっさと出さんと、おまんの息子の憲兵だって、捕まえに来るかも知れんよ」

リンの脅しも効果はなかった。

歳を取った吉平は、誰もが手を焼くほどの頑固者になっていた。

「決められた分は供出してるら!

残った分、自分で飲んで何処が悪いだ?

お国のため、お国のためって … 俺もお国の中のひとりじゃん」

「何を訳の分からんこん言ってるだ!」


業を煮やした甚之介が大声を上げたが、吉平は知らぬ顔で水瓶に腕を突っ込んだ。

「てっ?」

水瓶から取り出したのはブドウ酒のビンだった。

吉平は栓を抜き、おもむろにビンに口をつけてラッパ飲みした。

「あ ~ 美味え」

頭を抱える一同。

* * * * * * * * * *

「まだいっぱい隠してるずら?!」

「ああ、隠してるさ」


抜け抜けと答えた吉平は、甚之介の目の前でもう一度ブドウ酒のビンを呷った。

「あ ~ 美味え」

「やめちゃ!」


しかし吉平が素直に止めるわけがなかった。

「やめちゃあ!!」

< このふたりの関係は、戦時下でもちっとも変わりませんね。

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※甚之介が言っていることはあながちウソではなかったようです。
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2014年09月09日 (火) | 編集 |
第140回

太平洋戦争の開戦後、日本軍の連戦連勝が伝えられ、人々の戦意は高揚していた。

亜矢子は戦地の様子を視察すべく、シンガポールへと出発し、和平活動を模索する龍一は、蓮子にしばしの別れを告げ旅立って行った。

村岡家では、石が投げ込まれ、玄関の戸のガラスが割られるという事件が起きた。

< それぞれが戦争の波に飲み込まれていました >

* * * * * * * * * *

後日、花子はカフェーで、かよに事件のあらましを話した。

「それで、石を投げた犯人を見たの?」

「それが美里と同じ歳ぐらいの男の子だったの、『非国民』って叫んで … 」


そのことで少なからずショックを受けている花子だった。

「きっと軍国少年だね」

店を手伝っているももが言った。

「石を投げられたのは、お姉やんたちにも責任があると思う」

かよの口から出たのは、花子にとって意外な言葉だった。

「え?」

かよは眉をひそめた。

「お姉やん、本当に分かってる?

お姉やんたちがどう見られてるか」

「どうって … 」


花子は困惑していた。

「もも、あの話、お姉やんにちゃんと話した方がいいよ」

かよに促されて、ももは遠慮がちに話しはじめた。

* * * * * * * * * *

「 … お姉やん、美里ちゃんに『ラジオのおばさん』を辞めたのは、戦争のニュースを読みたくないからだって言ったそうね?」

「ええ」

「旭さんも近所の人に訊かれたんだって。

お姉やんはどうして、日本軍の勝利のニュースを読みたくないのか … 日本が負ければいいと思っているのかって」


ももの話を受けて、かよが厳しい顔で花子に言った。

「お姉やんが英語の仕事をしてることは、大勢の人が知ってるし、お姉やんの家に外国人が出入りしていたことも近所の人たちは皆知ってるんだよ。

敵国の言葉が分かって、敵国に知り合いがいるだなんて … 近所の人たちは皆よく思ってないんじゃないかな?」


花子にとって思いもよらぬことだった。

「お姉やんの家には英語の本や敵国のレコードもあるでしょ?

こんな時だし、本当に気をつけないと、もっとひどい目に遭うかも知れないよ」


かよが苦言を呈したのは花子たちの身の安全を思ってのことだった。

しかし、何故か素直にうなずけない花子だった。

* * * * * * * * * *

「いらっしゃいませ」

その時、店に入ってきた客は数名の軍人だった。

「やあ、かよちゃん」

「先日はどうも」


常連らしくにこやかに挨拶した軍人たちをかよは席に案内した。

* * * * * * * * * *

複雑な思いで店を後にした花子の後をかよが追ってきた。

「お姉やん、これで美里ちゃんに甘いものでも作ってあげて」

小さな紙袋を花子に手渡した。

中身を確認した花子は驚いた。

今では手に入りにくくなっている砂糖が入っていたのだ。

「お砂糖なんてどうしたの?」

「うちの店は軍人さんのご用が多いから、いろいろ都合してもらってるの。

甘いもの食べれば、お姉やんも元気になるよ」


まさか受け取ることが出来ないとも言えず、花子は笑顔を作って礼をした。

* * * * * * * * * *

花子が留守の村岡家を訪ねてきたのは吉太郎だった。

割れたガラスの代わりに貼られた新聞紙を見て、吉太郎も石が投げ込まれたことを知った。

「ご心配おかけしてすみません」

「もし、また何かされるようなことがあったら、すぐに報せてください」


英治が花子は直に戻ることを伝えたが、吉太郎は英治に話があって来たと言った。

「失礼ですが、青凛社の方は如何ですか?」

「 … 正直にお話しすると、かなり厳しい状況です」


英治は雑誌も休刊せざるを得なくなり、印刷の受注もなく、近いうちに会社を閉めることになるかもしれない状況を話した。

「差し出がましいようですが、軍関係の印刷の仕事をなさったら如何でしょうか?」

「軍の仕事 … ですか?」


軍の仕事だったら、優先的に紙とインクが配給されるし、自分が便宜をはかれることを仄めかした。

「あの、それは、花子がお願いしたんでしょうか?」

「いいえ、はなは何も … 私の考えです」


吉太郎は苦笑いした。

* * * * * * * * * *

花子が家に戻ると、英治はひとり、工房でぼんやりと本を手に取って眺めていた。

青凛社の原点ともいえる『王子と乞食』の単行本だった。

「英治さん」

声を掛けると、驚いたように振り返った。

「ああ、おかえり花子さん」

「今日ね、かよの店でお砂糖をもらってきたの」


花子はわざと明るい声で英治に話した。

「美里が学校から帰って来たら、久しぶりにお菓子を焼くわね」

「ああ」


笑顔でうなずいた英治に花子は、ついでのように、かよに叱られてしまった話も付け加えた。

本当は割と傷ついていたのだが、英治に悟られまいと、明るく振舞ったのだ。

ところが、花子の方が英治の様子が何処かおかしいことに気づいた。

「英治さん、何かあったの?」

「 … さっき、吉太郎さんがいらして、青凛社で軍の印刷の仕事をしないかって、言ってくれたんだ」

「引き受けたの?」


花子が訊くと、英治はため息をついて首を振った。

「断ってしまった … 」

英治は花子に向き直った。

「青凛社を閉めて、僕も軍需工場に働きに出ようかと思う」

「え?!」

「軍の仕事を受ければ、細々とでも青凛社を続けて行けたかもしれないのに … ごめん、花子さん」


後悔しているというより、花子に対して申し訳ない気持ちがいっぱいの英治だった。

しかし、花子は微笑みながらかぶりを振った。

「断ってくれてよかった」

それは偽らざる本心だった。

「青凛社は女性と子供たちのために作ったんですもの」

「本当にいいんだね?」


英治はホッとしながら訊きかえした。

うなずいた後、花子はなんだか無性にうれしくなってきた。

英治のお蔭で滅入っていた気持ちが一気に晴れていくのが分かった。

* * * * * * * * * *

「ねえ、英治さん … 踊ってくださらない?」

そう言って、英治の前に手を差し出した。

「ええ ~ 踊るって?」

英治は印刷機が置かれて、踊るスペースなどない工房を見渡した。

「レコードはかけられないけれど、ほら … 」

花子は瞼を閉じた。

「こうすれば、いくらでも音楽が聞こえてくるわ」

想像の翼を広げてみせたのだ。

英治も微笑みながら花子の手を取った。

ふたりはお互いの体を近づけ、狭い工房の中でゆっくりと踊りはじめた。

< あらゆるものを禁止されたとしても、想像の翼までは誰も奪うことは出来ませんものね … >

* * * * * * * * * *

1943年(昭和18年)・秋。

< 戦況は坂を転げ落ちるように悪化して行きました >

花子と美里は、家の前に出て、戦死者の遺骨を抱えた遺族が通り過ぎるのを弔意を込めて見送った。

* * * * * * * * * *

一方、蓮子はふたりの子供と共に龍一の帰りを待つ日々を送っていた。

< 家を出た龍一は、短い手紙を寄こすだけで、一度も帰って来ませんでした >

その晩、夕食時に点けていたラジオが、政府が理工理系以外の学生の徴兵猶予の停止を決定したことを伝えた。

「そんな … 」

絶句する蓮子とは対照的に純平は嬉々として立ち上がった。

「お母様、ようやく僕もお国のために戦えるんです。

お母様たちを守るために戦えるんです!」


< 昭和18年12月、大勢の大学生が本を捨て、学徒出陣して行きました >

「安心してください。

必ず命を賭けて、日本を守りますから … 」


純平が出征する日もそう遠からずやってくるのだろう。

* * * * * * * * * *

1944年(昭和19年)・7月。

< その翌年、マリワナ沖海戦で日本軍は大敗。

サイパン島も陥落し、いよいよ本土決戦が叫ばれるようになりました。

食糧をはじめ、あらゆるものが日を追うごとになくなっていました >

軍需工場に出かける英治と学校へ行く美里のために花子が用意する弁当も、おかずが梅干しひとつだけの日の丸弁当が精一杯だった。

それでもふたりは「食べられるだけありがたい」と笑顔で出かけて行った。

* * * * * * * * * *

ふたりを見送っていると、近所の主婦が回覧板を届けにやって来た。

「今日は10時から防空演習ですよ」

「はい」

「夜は灯火管制の見廻りもありますから、光が漏れないようにね」


翻訳の仕事からも久しく離れ、町内会の演習等にも真面目に参加して行くうちに「非国民」呼ばわりされることもなくなっていた。

昼、花子が縁側で干し野菜を作るために、輪切りにした芋などをひもに通していると、頭上を爆音を立てながら飛行機が通り過ぎていった。

花子の脳裏にかつてブラックバーンが話した言葉が思い浮かんだ。

「これからの飛行機の進歩は世界を平和に導くか、戦争をもっと悲惨にするかどちらかです。

我々人類は飛行機をどう使おうとしているのか … 平和か、戦争か」

花子は遠ざかっていく飛行機の影を目で追いながらつぶやいた。

「平和か、戦争か … 」

* * * * * * * * * *

花子が灯火管制に触れないように居間の電燈に黒い布を被せようとしていた時のことだった。

「ごめんください … 醍醐です」

シンガポールに視察に出かけていた亜矢子の声がした。

花子は慌てて、玄関で亜矢子を出迎えた。

「醍醐さん、帰っていらしたのね」

亜矢子がシンガポールから無事に戻ったことを喜んだのも束の間だった。

「醍醐さん?!」

玄関先で佇む亜矢子は青ざめた顔で、花子を見るなり、その目をうるませた。

「はなさん … 」

「醍醐さん、どうしたの?」


< 南方から帰って来た醍醐に一体何があったのでしょうか?

… ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月08日 (月) | 編集 |
第139回

< 太平洋戦争の開戦を機に花子は9年間続けた『ラジオのおばさん』を辞めました。

そして、日本とカナダは敵対する関係になったのです。

昭和16年開戦直後、日本中が勝利を確信し、大きな興奮に包まれておりました >

* * * * * * * * * *

「もうラジオでお母様の声を聴くことは出来ないの?」

花子がうなずくと美里は残念そうな顔をした。

「お友達も皆寂しがるわ … 」

「ごめんなさい」


美里は、花子がラジオの仕事を辞めてしまった理由を訊ねた。

「それはね … 戦争のニュースを子供たちに伝えたくなかったから」

「どうして?」

「国と国は戦争になってしまったけれど、敵方の国には、お母様の大切な先生やお友達がたくさんいるの」


花子は懇切丁寧に説明したが、果たして幼い美里に理解できただろうか …

* * * * * * * * * *

1942年(昭和17年)・冬。

< 年が明けてからも、日本軍の連戦連勝は伝えられ、人々の戦意は高揚していました >

ある日、花子は家の前で割烹着にタスキをかけた女性たちの集団同士のいざこざに出くわした。

「一体どういうつもり?」

「そっちこそどういうつもりさ?」


先を急ぐ花子はそのままやり過ごそうとしたのだが、その片方の一団にかよの姿を見つけてしまった。

「かよ、どうしたの?」

「ああ、お姉やん … ちょっと、今忙しいの」


店はももに任せてきたと言った。

* * * * * * * * * *

< おや … いつか、吉原から蓮子の家に逃げてきた雪乃さんじゃありませんか? >

雪乃は、かよがいる一団のリーダー格のようだった。

「あなたたち退きなさい。

ここは私たちがご出征される方をお見送りする場所です」


相手の先頭にいる女性が雪乃たちに向かって命令口調で言った。

どうやら出征兵士を見送る場所の取り合いで揉めているらしい。

「退くもんですか。

私たちはお見送りするために2時間も前からここで待ってたんです」


雪乃は毅然とはねつけると、用意してきた千人針を見せつけた。

「そっちこそ退きなさいよ」

かよたちの仲間のひとりが負けじと言い返した。

* * * * * * * * * *

< この頃、各地の婦人会は統一されていましたが、山の手の奥様達と水商売の女の人たちは仲がいいとは言えませんでした >

「皆さん、白粉塗ってご商売なさってる方がお似合いでしてよ」

「私たちだって日本の女です … お国のために尽くしたいんです。

命を捧げて戦って下さる兵隊さんを思う気持ちは奥様達には負けませんわ」


雪乃の言葉にかよたちはしっかりとうなずいた。

どちらにもそれなりに言い分があり、お互いに決して譲ろうとはしなかった。

約束がある花子は、仕方なくその場を後にした。

* * * * * * * * * *

花子の行く先は、かよの代わりにももが取り仕切っているカフェータイムだった。

亜矢子にこの店に呼び出されたのだ。

「お姉やん、いいところに来てくれた」

ラジオから流れた日本軍優勢の戦況を耳にした客たちが祝杯を上げ始めて、とても、ももひとりでは対応しきれなかったところだった。

援軍扱いされた花子は、亜矢子を待たせて接客の手伝いをするはめになってしまった。

* * * * * * * * * *

「醍醐さん、お待たせしてごめんなさい」

店がようやく落ち着き、花子は亜矢子の元へと腰を据えることができた。

「ううん、商売繁盛で何よりね … 今日は、かよさんは?」

「ああ、婦人会で忙しいみたいなの」

「すごく熱心にやってるんです。

… こんな自分でも、お国の役に立ててうれしいって言ってました」


ももの話を聞いて、亜矢子はかよのことを褒めていたが、花子は曖昧に相槌を打つことしかできなかった。

* * * * * * * * * *

「醍醐さん、今日は何か大事な話があるって?」

「ええ、はなさん … 」


亜矢子は改まって花子の方に向き直った。

「私、シンガポールに行くことにしたわ」

「ええっ?!」

「長谷部先生にペン部隊のことお願いしていたけど、なかなかお返事をいただけなくて …

もう待ちきれなくて、貿易会社をしている父のツテで出発することにしたの」


いつもながら、亜矢子の行動力には驚かされる花子だった。

「大丈夫なの?

ひとりで南方に行くなんて … 」

「実は昨夜、吉太郎さんにもご報告をしたの」


* * * * * * * * * *

「シンガポール?!

フィリピンより情勢は安定していますが、危険です … 考え直してください」

「吉太郎さんは軍人として懸命にお働きです … この戦時下、私も無為に過ごしてはいられません。

それに、戦地の様子を見たら、銃後の人々に何か役立つ記事を書けるかも知れません」

吉太郎は必死に止めたが、亜矢子の決意は変わらなかった。

「あなたの決意は固いんですね … 」

「はい」

「 … では、くれぐれもお気をつけて。

無事に帰ってきてください」

あきらめて、そう言って亜矢子を送り出したのだった。

* * * * * * * * * *

「 … いつお立ちになるの?」

「今夜の汽車で神戸へ向かって、それから船で」


あまりにも急な話だった。

念願がかなった亜矢子は満足げに笑っているが、花子は不安いっぱいで彼女の顔を見つめた

* * * * * * * * * *

< そして、ここにもひとり、旅立とうとしている者がおりました >

旅支度を整えた龍一は、去年他界した浪子の遺影に手を合わせていた。

その後、純平の部屋の襖を静かに開けて、眠っている息子に向かってささやいた。

「純平、お母様と富士子を頼む」

* * * * * * * * * *

居間を覗くと、蓮子が縫物をしていた。

「君が靴下を繕ってくれるとはね … 」

「亡くなったお義母様に針仕事もちゃんと教えていただきました」


厳しかったが、蓮子にとって浪子はいい姑であった。

浪子にしつけられたお蔭で、一家の主婦として暮らしていく術を身につけたのだ。

「さあ、これも持っていってください」

蓮子は繕い終えた靴下を龍一に手渡した。

「ありがとう … じゃあ、そろそろ行くよ」

「遠くに行かれるんですね?

… お帰りは?」

「今度は長くなるかもしれない。

半年か、一年 … 」


龍一自身にも確かなことは分からないのだ。

「とにかくこの戦争を、一日も早く終わらせなければ … 」

悲痛な顔の蓮子は無言で一点を見つめていた。

* * * * * * * * * *

「待って、あなた」

玄関で靴を履き終えた龍一は蓮子に呼び止められて振り返った。

「 … 転ばないように気をつけて」

その言葉に強張っていた龍一の頬が緩み、微笑みに変わった。

ふたりが出会った頃、何故かよく転んだことを思い出したのだ。

「ああ」

心細さに押しつぶされそうな気持ちを必死に隠しながら、蓮子は夜道に消えていく龍一の背中を見送った。

* * * * * * * * * *

青凛社はめっきり仕事が減り、工房の印刷機も止まったままになっていた。

「さっさと日本が勝ってくれればいいですね。

そうすれば、また元通り本が作れるのに … 」


旭は知人からの紹介で軍需工場に働きに出ることを決めた。

* * * * * * * * * *

「そう、旭さん、軍需工場に … 」

花子に旭のことを伝えながら、英治は顔を曇らせた。

「うん、これだけ仕事の注文がないと、僕も考えないとな」

「大丈夫よ、私も頑張って働くから」


そう言って英治を慰めた花子自身も翻訳の仕事が全くなかった。

「でも大丈夫、なんとかなるわ」

花子の前向きな思考に英治は思わず笑顔になった。

「君はいつも明るくていいな」

「気持ちぐらい明るくしなくちゃ」


美里が点けたラジオから、有馬が読む『コドモの新聞』が聞こえてきた。

「小国民の皆さん、こんばんわ」

美里と並んで座って、ももの次女の直子も一緒にラジオに耳を傾けていた。

* * * * * * * * * *

「帝国陸海軍は東亜の各地で連戦連勝を続けています … 」

「今日も戦争のニュースばっかりね」


美里はラジオを消すと英治にレコードをかけるようせがんできた。

「よし、じゃあ聴こうか」

英治が蓄音機のレコードに針を落としたその時だった。

玄関の方からガラスが割れる音が聞こえた。

「非国民!」

それは、子供の声だった。

玄関へ行くと、投げ込まれた石と割れたガラスが散乱していた。

英治は慌てて外へ飛び出した。

「待ちなさい!」

しかし、犯人たちは逃げながら、もう一度「非国民」と叫ぶと路地を走って曲がり角へと消えた。

* * * * * * * * * *

「お母様、怖い!」

花子は怯えている美里と直子を庇うように抱きしめていた。

「大丈夫よ、大丈夫だからね」

泣きじゃくる娘たちを必死に宥める花子だった。

< 村岡家に石を投げたのは、まだ幼さの残る少年たちでした。

… ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月07日 (日) | 編集 |
さて、次週の「花子とアン」は?

美里(三木理紗子)から、なぜラジオの仕事を辞めたのかと聞かれた花子(吉高由里子)は、敵方の国には大切な友人たちがいるから、戦争のニュースを子どもたちに伝えることはできないと話す。

日米開戦直後は日本軍の連戦連勝が伝えられ、人々は勝利を信じて高揚していた。

シンガポール、危険です、考え直してください

醍醐(高梨臨)は戦地の様子を視察すべく、シンガポールへと出発する。

バンサイ、バンザイ

かよ(黒木華)は雪乃(壇蜜)に誘われる形で婦人会に加わり、出征兵士の見送りなど“銃後”の活動にいそしむようになる。

和平活動を模索する龍一(中島歩)は、蓮子(仲間由紀恵)にしばしの別れを告げ旅立ってゆく。

非国民!

村岡家では、石が投げ込まれるという事件が起きる。花子はもも(土屋太鳳)からも、旭(金井勇太)が花子の仕事のことで近所の人からなじられたと聞き、自分が英語に関わる仕事をしているという理由で「非国民」のように扱われることにショックを受ける。

そんな折り、吉太郎(賀来賢人)が英治(鈴木亮平)に、仕事が激変している青凛社に軍関係の仕事をあっせんしようと持ちかけるが …

お父は何も分かってない!

戦況は悪化してゆき、昭和19年、本土空襲の危険がささやかれる中、甲府の吉平(伊原剛志)が村岡家を訪れる。花子たちに疎開を勧めに来たのだ。

母のことが心配です

一方、陸軍に入って訓練を受けていた純平(大和田健介)が、特別休暇をもらって1年ぶりに宮本家へ帰って来た。

今の私には命よりも大切なもの …

花子とアン 公式サイト、YAHOO!テレビガイド他を参照)

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2014年09月06日 (土) | 編集 |
第138回

1941年(昭和16年)12月8日。

ラジオから流れる臨時ニュースに花子と英治は愕然とした。

< 日本は太平洋戦争へと突入したのでした >

それから村岡家には、旭やももの他に近所の人々が大勢詰めかけ、居間のラジオの前で続報を待っていた。

しかし、ラジオ局は軍歌や軍艦マーチをずっと流したままだ。

「『コドモの新聞』の放送はどうなるのかしら?」

花子にとって、そのことも気がかりだった。

「来なくていいって、君に連絡があったから、別の番組をやるんじゃないかな … 」

その時、音楽が止み、チャイムの音が聞こえてきた。

* * * * * * * * * *

「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。

帝国海軍は、ハワイ方面のアメリカ艦隊並びに航空兵力に対し、決死の大空襲を敢行し、シンガポールその他をも大爆撃しました」


* * * * * * * * * *

「やったぞ、米英を大爆撃だ!」「こりゃ、勝ち戦だ!」

かよの店ではラジオを聴くために集まった客から歓声が上がり万歳の大合唱が起こった。

「日本軍やりましたね!」

村岡家の居間も同じように歓喜に沸いていた。

「私、やっぱりJOAKへ行ってくるわ」

しかし、『コドモの新聞』のことが気になる花子は、その輪から抜け出してJOAKへと出かけて行った。

* * * * * * * * * *

ラジオ局に着くと、職員たちが慌ただしく局内を行きかっていた。

騒然とした中、花子が会議室を覗くと、軍や情報局の関係者が集まっていた。

テーブルの上には山積みになった資料が置かれている。

「村岡先生、どうなさったんですか?」

花子に気づいた黒沢が廊下の隅に誘導した。

番組のことが気になってやって来たことを伝えた時、漆原が通りかかった。

「これはこれは、村岡先生。

本日はいらっしゃらなくて結構でしたのに」

「漆原部長、今日の『コドモの新聞』の放送はどうなるんでしょう?」

「はは … それならお気になさらず」


その時間帯には内閣情報局からの重要な放送をすることが決定したと黒沢が話した。

「アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入ったということは、非常に勇ましいニュースですから、いらっしゃらなくて結構と申し上げたんです。

これほど重要なニュースを女の声で伝えるのはよろしくありませんから」


いつもながら漆原の言葉の端々には花子を見下している本音が現れていた。

* * * * * * * * * *

そこへ、廊下を厳かに近づいてくる一団があった。

< 先頭をやってくるのは、情報局を取り仕切る偉い役人です >

「皆様、ご苦労様でございます ~ 制作部長の漆原でございます」

情報局情報課長の進藤隆雄に向かって、漆原は米つきバッタのように頭を下げた。

「よろしくお願いします」

漆原は進藤たちを指揮室へと案内した。

* * * * * * * * * *

進藤はそのままスタジオへと入って、マイクの前に座った。

原稿に目を通している進藤に向かって、スタジオ内に控えていた有馬が言葉をかけた。

「僭越ながら …  原稿は抑揚をつけず、淡々とお読みください。

発音、滑舌に特に注意を払ってお読みいただくと、よろしいかと思います」


花子に指示したのと同じことを、情報局のお偉方にも臆面なく伝えたのは、有馬のアナウンサー魂だった。

スタジオは彼の聖域なのだ。

進藤が無言で有馬を見つめると、部下の役人が有馬をスタジオから連れ出した。

指揮室からも追い出されてしまった有馬、そこには中の様子をうかがう花子がいた。

* * * * * * * * * *

村岡家の柱時計はそろそろ6時を指そうとしていた。

「お母様、今日は何のお話しするのかな?」

美里は『コドモの新聞』がはじまるのを楽しみにしていた。

「今日はお母様のお話はないみたいだ」

「えっ、だってお母様ラジオ局へ行ったんでしょ?」


英治は何て答えたらよいのか苦笑いしてしまった。

* * * * * * * * * *

6時の時報の代わりに例のチャイムが鳴り、一同がラジオに聞き耳を立てた。

「国民の方々、ラジオの前にお集まりください!」

聞こえてきたのは、いつものアナウンサーではなく年配の男の勇ましい声だった。

「いよいよその時が来ました … 国民送信軍の時が来ました。

政府と国民ががっちりとひとつになり、一億の国民が互いに手を取り、互いに助け合って進まなければなりません」


* * * * * * * * * *

その声はラジオの電波に乗って、日本全国に届いた。

甲府では徳丸商店に吉平やふじ、朝市たちが集まって、宮本家でも家族全員が揃って、それぞれの思いを胸に、この放送に耳を傾けていた。

* * * * * * * * * *

「政府は放送によりまして、国民の方々に対し、国家の赴くところ、国民の進むべきところをはっきりとお伝えいたします。

国民の方々は、どうぞラジオの前にお集まりください。

放送を通じて、政府の申し上げますることは、政府が全責任を負い、率直に正確に申し上げるものでありますから、必ずこれを信頼してください … 」


* * * * * * * * * *

「あんな雄たけびを上げるかのように原稿を読んで … 」

花子の横で有馬がつぶやくように嘆いた。

「原稿を読む人間が感情を入れてはいけない。

それをあんな一方的に押し付けるような … 」


怒っているような悲しんでいるような有馬の横顔を花子は見た。

「有馬さん … 」

「今日からラジオ放送の在り方は、変わってしまう」


その間も進藤の人を奮い立たせるような熱弁は続いていた。

「 … 国民ひとつになった総進軍しますところ、烏合の衆である敵はいかに大敵でありましても断じて恐れるところはありません!」

* * * * * * * * * *

「素晴らしい放送でした ~ 感動しました」

スタジオから出てきた進藤を漆原は声を裏返して絶賛した。

しかし、役所に戻る彼らを見送るために出てきた廊下で花子の姿を見ると、途端に不機嫌な顔になった。

「まだいたのかね?」

漆原は成り行き上、進藤に花子のことを紹介した。

「こちら、子供向けの番組を担当する村岡花子女史です」

「語り手として子供に大層人気がある先生です」


黒沢が付け加えると進藤が興味を示した。

「国論統一のために、今後一層ラジオ放送は重要になります。

放送を通じて、子供たちをよき少国民へと導くことを期待します」


そう花子に告げて、進藤は帰って行った。

* * * * * * * * * *

花子は … 強張った顔で一点を見つめ、しばらく動かなかった。

そして、ゆっくりとスタジオに目をやり、マイクを見つめた。

じっくりと考えた挙句 … 小さく深呼吸をして、漆原たちを見た。

「あの … 漆原部長、黒沢さん、お話があります」

「どうなさったんですか?」


黒沢が訊ね、漆原は怪訝な顔で花子を見た。

「今日限りで『コドモの新聞』を辞めさせていただきます」

「 … 何故ですか?」

「私の口から戦争のニュースを、子供たちに放送することは出来ません」


花子の言葉に漆原はあきれたように口を開いた。

「村岡先生、たった今、情報局情報課長から、あんなにありがたい言葉を賜ったばかりでしょうが?!」

花子は毅然と返した。

「それで決心がつきました」

* * * * * * * * * *

「村岡先生 … 」

黒沢は絶句した。

漆原は、一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、気を取り直して花子に告げた。

「いいでしょう ~ お辞めくださって結構です。

ラジオを通じて国民の心をひとつにしようという時に、あなたは … 所詮、『ごきげんようのおばさん』だ!」


労う言葉は言えなくても、罵るのことは忘れなかった漆原だったが、花子はまったく堪えはしなかった。

彼の言う通り、自分が『ごきげんようのおばさん』以上でも以下でもないことを一番望んでいたのは花子自身だったからだ。

* * * * * * * * * *

漆原の後を追うように、黒沢も一礼すると花子の前から立ち去った。

やっとけじめがつけられた花子は清々しいような気分でもあった。

ふと、有馬の視線に気づき、振り返った。

「有馬さん、後をお願いします」

一礼した花子に有馬は言った。

「私は、感情を込めず、正しい発音、滑舌に注意して、一字一句正確に原稿を読み続けます」

誰に対してもその信念を譲らない有馬は尊敬に値するアナウンサーの鏡だと花子は思った。

有馬の厳しさがあったからこそ、素人だった自分が今日まで『ラジオのおばさん』を続けてこれたのだ。

そう思ったら、目頭が熱くなってきた。

「 … お世話になりました」

すると、有馬は一度も見せたことがなかった笑顔で花子のことを労った。

「お疲れ様でした」

有馬もまた花子の潔さに感動していたのだ。

* * * * * * * * * *

「村岡先生 … 

出口に向かう花子を呼び止めたのは黒沢だった。

「これ、持っていらしてください」

黒沢が差し出したのは、番組に花子宛てに届いていた子供たちからの手紙の束だった。

家族でラジオを聴いている絵に『はなこおばさんごきげんよう』と書かれたハガキを目にして花子は思わず微笑んだ。

「 … お考えは変わりませんか?」

黒沢は訊ねたが、ハガキを見ても花子の気持ちは揺るがなかった。

「はい … 」

「そうですか … 残念です」


黒沢の最後の賭けも空振りに終わったのだ。

「申し訳ありません。

9年間、お世話になりました」


思えば、黒沢に出会わなかったら、自分が『ラジオのおばさん』になることはあり得なかったのだ。

そう思うと感慨深かった。

花子は深く頭を下げた後、振り向き歩き出した。

< 日本はとうとう大きな曲がり角を曲がってしまいました。

… ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月05日 (金) | 編集 |
第137回

1939年(昭和14年)・10月。

< 9月に第二次世界大戦がはじまり、いよいよスコット先生もカナダに帰国することを決意しました >

「(あなたに渡したい本があります)」

別れを告げに村岡家を訪れたスコットは花子に一冊の本を手渡した。

『ANNE OF GREEN GABLES 』

… 本の題名だった。

< 花子はついに、あの本に出合いました! >

* * * * * * * * * *

「(ルーシー・モンゴメリというカナダの作家の作品です。

日本に居る間、この本が心の友でした)」

「(そんな大切な本、いただけません)」


花子は慌てて手にしていた本をスコットに返した。

しかし、スコットは改めて言った。

「(あなたに持っていてほしい。

… 私たちの友情の記念に)」

「友情の記念?」


* * * * * * * * * *

「お母ちゃま、何のお話してるの?」

縁側で絵本を読んでいた美里が居間に入ってきて花子の横にちょこんと座った。

「スコット先生がね、この大切なご本をくださるとおっしゃってるの」

「何ていうご本?」

「『ANNE OF GREEN GABLES』

… そのまま訳すと、『緑の切妻屋根のアン』ね」

「どんなお話なの?」

「お母ちゃまもまだ読んだことがないから分からないわ」


すると、美里は興味津々と本をめくりはじめた。

* * * * * * * * * *

「(あなたの小さい頃を思い出しますね)」

スコットの言葉を花子が伝えると、美里はうれしそうに笑った。

「お母ちゃまも美里ぐらいの時、英語が大っ嫌いだったの」

「て ~ お姉やんが英語大っ嫌いだったなんて、信じられない」


ちょうどお茶を運んできたももが意外という顔で花子を見た。

「秀和に入ったばかりの頃、皆が何をしゃべっているかちっとも分からなかったんだもん」

花子は思い出した。

英語を好きになるきっかけを与えてくれたのは他ならぬスコットだったことを。

「スコット先生のお歌を聴いたら、はじめて英語が心に優しく響いてきたの」

* * * * * * * * * *

花子はスコットに彼女の歌う『The Water Is Wide』が大好きだったことを伝えた。

「お母ちゃま、歌ってみて」

突然、美里がねだると、ももまでが聞いてみたいと言い出した。

「 … (スコット先生、一緒に歌ってください)」

スコットは快くうなずいた。

♪ The water is wide, I can-not get o'er.
And neither have I wings to fly
.give me a boat that can carry two,
And both shall row, my love and I.

(この海は広すぎて 私には渡れません

大空を舞う羽もありません

どうか ふたりが乗れる小舟をください

ふたりで漕いでゆきます 愛する人と私で … )

* * * * * * * * * *

仕事を終えて工房から引き揚げてきていた英治と旭も居間の前で聞いていて、美里やももたちと一緒に拍手をした。

「素敵な歌だね ~ 」

旭が歌の意味を訊ねてきた。

「この歌は別れた恋人への気持ちを歌った歌なの」

悲しい歌だということを一同は知った。

「(あの頃はカナダに居た恋人を思って歌っていた。

その彼も … 先の大戦で戦死しました)」


スコットは目を伏せ、恋人の写真が納めた首から下げたロケットを握りしめた。

* * * * * * * * * *

「(ありがとう、はな。

最後にとても素敵なオモイデが出来ました)」


見送りに出た花子にスコットは礼を述べた。

「(こちらこそ … )」

「はな … (いつかきっと平和が訪れます。

その時、あなたの手でこの本を日本の少女たちに … )」


花子は手に持っていた『ANNE OF GREEN GABLES 』 に目をやり、スコットに誓った。

「(約束します。

平和が訪れたら … この本を翻訳して、たくさんの人に読んでもらいます)」


スコットは胸に込み上げてくるものを抑え、花子の手を握った。

「(ありがとう … さようなら、はな)」

「(またお会いしましょう)」


笑顔でうなずいたスコットは最後に言った。

「ごきげんよう」

「 … ごきげんよう」


< 日本が戦争へと向かう中、日本とカナダをつなぐ大切な一冊が花子の手に託されたのでした >

* * * * * * * * * *

スコットが帰った後、花子は早速、書斎の机に着くと『ANNE OF GREEN GABLES 』の表紙を開いた。

< それは、カナダのプリンスエドワード島という小さな島を舞台にした物語でした。

そばかすだらけの痩せっぽっちな、ニンジンのように赤い髪の少女、アン・シャーリーが人々と心を通い合わせていう様子が活き活きと描かれています。

花子はみるみる夢中になりました >

夜になり、美里が眠りにつく時間になっても、花子は書斎からは出てはこなかった。

英治がそっと覗くと、スタンドの灯りの下、本の虜になっている花子がいた。

* * * * * * * * * *

「 … 『おお、ダイアナ』

やっとの思いでアンは言った。

『ねえ、私のこと、少しばかり好きになれると思って?

私の … 』」

『my bosom friend?』


花子はその一文を指でなぞった。

「親しい友 … 私の親友になってくれて?」

親友 …

花子はふと、本から目を離して顔を上げた。

「 … 私は時代の波に平伏したりしない」

あの日の蓮子の顔が脳裏をよぎった。

「世の中が何処へ向かおうと、言いたいことを言う … 書きたいことを書くわ」

* * * * * * * * * *

秀和女学校時代の蓮子との思い出が次から次に浮かんできた。

「蓮様 … 」

花子が目をやったのは、懐かしい栞だった。

そっと手に取る。

蓮子の字で、『翻訳者・安東花子、歌人・白蓮』と記してある。

* * * * * * * * * *

花子は栞を傍らに置くと、本に視線を戻した。

< スコット先生から託されたこの本を日本の少女たちに送り出すことが出来る日を心から願う花子でした >

* * * * * * * * * *

1941年(昭和16年)・冬。

< けれども … 2年過ぎても、中国との戦争は終わる気配はありませんでした >

村岡家の近所からも何人もの若者が戦地へと出征して行き、花子たちもそれを見送った。

* * * * * * * * * *

そんなある日の早朝のことだった。

けたたましく鳴る電話のベルに花子たちは目を覚まされた。

「こんな朝早くに誰だろう?」

花子が電話に出ると、受話器の向こうからは黒沢の声がした。

「朝早くに申し訳ございません。

今週は村岡先生に台頭していただく予定だったのですが … 今日は村岡先生にはお休みしていただくことになりましたので、お電話しました」


辺りが何やら騒々しい … 緊迫した声で黒沢は伝えた。

「どうしてですか?」

「大変重要なニュースがありまして … 」


花子の疑問に黒沢はそれだけしか答えなかった。

「黒沢君、皆様がいらっしゃったぞ」

後方から漆原の声が聞こえた。

現場だけでなく、重役の漆原までこんな朝早くから出社しているとは、相当重要なニュースのようだ。

「急なことで申し訳ございませんが、今日はお休みいただき、明日改めてお越しください」

そう言って、黒沢の電話は切れた。

* * * * * * * * * *

ラジオ局にやって来たのは、軍人および情報局の役人たちだった。

「こちらでございます」

漆原が一同を指揮室に丁重に案内した。

スタジオの中ではすでに準備を整えた有馬がマイクの前に座って待機していた。

有馬はいつになく緊張した面持ちで礼をした。

コップの水を飲み、原稿を確認する彼の額に脂汗が滲んでいる。

こんなことは珍しいことだった。

有馬がゴクリと喉を鳴らした。

* * * * * * * * * *

「新聞にはそれほど重大なニュースは出てないな」

英治が届いたばかりの朝刊を見ながら首を傾げた。

「そう … 」

それより今は朝食の仕度に花子は追われていた。

七歳になった美里に食卓の準備をするように言いつけた時だった。

ラジオから聞きなれないチャイムが流れてきた。

「何のチャイムかしら?」

* * * * * * * * * *

「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます」

チャイムに続き、有馬のアナウンスがはじまった。

「大本営、陸海軍部、12月8日、午前6時発表。

帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋に於いて、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり … 」


< とうとう、太平洋戦争がはじまりました。

… ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月04日 (木) | 編集 |
第136回

「私は時代の波に平伏したりしない。

世の中が何処に向かおうと、言いたいことを言う … 書きたいことを書くわ。

あなたのように卑怯な生き方はしたくないの」

決定的な言葉を口にした蓮子のことを、花子は悲しげな目で見つめた。

「  … 私たち、生きる道が違ってしまったわね」

腹心の友との別れは余りにも突然で、そしてあっけなかった。

* * * * * * * * * *

< 蓮子と決別したまま花子はラジオのおばさんを続けておりました >

1939年(昭和14年)・初夏。

従軍作家として戦地に赴いていた宇田川満代が帰国し、ラジオで報告を兼ねた講演を行うためにJOAKを訪れていた。

局内に流れている花子の放送を耳にした満代は足を止めた。

「相変わらず生温いわね。

大陸の戦場では日本兵が命がけで戦っているっていうのに」


満代には花子が読むニュースなど取るに足らない話にしか聞こえなかったのだ。

「まったく同感です ~ 村岡先生は戦争の話をことさら避けるので、我々としても困ってるんですよ」

局内を案内していた漆原がここぞとばかり花子への批判を口にした。

「まあ、みみずの女王らしいっちゃ、らしいけど … 」

* * * * * * * * * *

「私は、ペン部隊の一員として、我が皇軍将兵の勇戦敢闘ぶりをこの目でしかと見てまいりました」

満代はマイクの前で戦意高揚を熱く語った。

「私は心の中で叫びました。

遠き故国、日本の母よ、姉よ、はたまた恋人よ … あなた方の慈しんだ人は今、破竹の勢いで猛進撃を続けております … 」


その声は放送を終えて、帰り支度をしていた花子の耳にも届いていた。

「不肖、この宇田川満代は、ひとりでも多くの銃後の方々にこのお話を … 例え、歳を取ってこの腰が曲がろうとも語り伝えることでありましょう。

それこそが、ペン部隊の一員たる私が果たすべき、究極の任務なのでございます」


* * * * * * * * * *

「宇田川先生、本日は誠に素晴らしい講演をありがとうございました。

戦地での日本軍将兵の活躍が目に浮かぶようでしたよ」


満代を見送りに出ながら、漆原は絶賛していた。

花子も満代に挨拶をするために廊下で待っていた。

「宇田川先生、日本にご帰国なされてたんですね。

ご無事で何よりです」

「無事に決まってるでしょ ~ 兵隊さんが命を張って私を守ってくれたんですもの。

ちょうどいいわ、これから私の帰国を祝う会があるの」


満代は参加するのが当たり前のように花子にも声をかけた。

* * * * * * * * * *

会場となったカフェータイムには長谷部汀をはじめとして親交のある女流作家たちと編集者の面々が顔を揃えていた。

「実際に戦場に立つとやっぱり違うんでしょうね?」

興味津々で満代に訊ねたのは亜矢子だった。

「当然でしょ、着いたそばから攻撃の爆風でぶっ飛ばされかけたわ。

そのうち、どこでも原稿が書けるようになったわ … 戦闘地帯の真っただ中で書いたこともあるわね」


満代の話に一同は息を呑んだ。

「男でも戦地の凄まじい状況を目の当たりにすれば怯みそうなところを、女である先生が … 感服いたしました」

ラジオの講演が縁で会に参加した黒沢が満代に頭を下げた。

満代は皆から称賛の声を受けて、得意満面で煙草をふかしている。

彼女をペン部隊に推薦した汀もご満悦だった。

「やっぱり、ご自身の目で実際に見た方は説得力が違うわね。

ますます戦地へ行って、自分の目で確かめたくなったわ」

「醍醐さん … 」


次回のペン部隊に参加することを熱望している亜矢子に満代は冷たく言い放った。

「お嬢様のあなたに耐えられるかしら?

… 実際の戦地は、内地で聞いて想像するのとは、悲惨さが全く違うわよ」


* * * * * * * * * *

「例えば匂い … 爆薬や硝煙の匂い。

それから、人の命が燃え尽きる匂い … 」


そう言いながら、満代は表情を曇らせた。

「 … あの匂いには、最後まで慣れなかったわね」

とても口には出せないような壮絶な経験もしてきているのだろう。

しばし、一同は言葉を失った。

* * * * * * * * * *

「あっ、ところで … 蓮子さんは今日はいらっしゃらないんですか?」

黒沢が場の雰囲気を変えるために訊ねた。

「お誘いはしたんですけれど … 」

亜矢子が言葉を濁すと、汀が声を大にした。

「仕方ないでしょ、あの方は私たちと違う考えをお持ちのようだから」

蓮子のことを苦々しく思っているのがありありと分かった。

「はなさん、蓮子様とはずっと連絡を取っていないの?」

亜矢子に訊ねられて花子はうなずいた。

あの日、この店で決別して以来、まったくお互いに音信不通の状態なのだ。

「お姉やん、手紙くらい書いたらいいのに … 」

かよがそっと耳打ちしたが、花子は顔を強張らせて首を振るだけだった。

* * * * * * * * * *

「実は、うちもしばらく翻訳ものの出版は止めることにしたんだ」

数日後、村岡家を訪れた梶原は、残念そうに花子と英治にそう伝えた。

「童話も近々止めざるを得ないかも知れない。

最近は、戦争漫画や戦記もの、それに実用書ばかりが売れていてね … 」


さみしそうに言った。

「夢のある物語は贅沢品なんでしょうか」

「これからますます、世の中に夢を送り出す商売は成り立たなくなっていくのかも知れないね」


花子は梶原の言葉に不安な思いでうなずいた。

* * * * * * * * * *

宮本家。

その日、学校から戻って来た富士子が、蓮子の顔を見るなり、泣きながら抱きついてきた。

「お母様、お母様」

「どうしたの … 何があったの?」


驚いている蓮子に、富士子は涙を流しながら訊ねた。

「お父様は、悪いことしてないわよね?

国賊なんかじゃないわよね?

お父様が憲兵さんに連れて行かれたのは、国賊だからだ、銃殺になれって、石を投げられたの」

「ケガは、ケガはない?」


無傷なことを確認して、蓮子は富士子のことを抱きしめた。

< 憲兵隊で取り調べを受けた龍一は釈放されましたが、世間からは白い目で見られたままでした >

「富士子、お父様はお国を平和にするために働いているのよ … 悪いことしている訳じゃないわ。

お父様のなさっていることは勇気がある行動なのよ。

だから、もう泣かないで … 」


蓮子は富士子に言い聞かせると、その頬の涙を手で拭ってあげた。

母と妹のやり取りを純平が眉をひそめながら見つめていた。

* * * * * * * * * *

そんな時、龍一が戻って来た。

『非国民』『裏切り者』

玄関の戸に彼を誹謗した紙が貼られていた。

貼り紙をはがして家に入ると、蓮子に抱きしめられながら泣いている富士子が目に入った。

「富士子、どうした?」

腰を下ろしながら訊ねると、純平が彼の前に立ちはだかった。

「お父様 … 富士子に謝って下さい」

純平は龍一のことを責めた。

「お父様のせいで、富士子がいじめられているんです。

富士子だけじゃない、お母様やお祖母様だって、お父様のせいで近所の人たちから悪く言われているんです」


蓮子は呆然として龍一を見つめた。

純平は父親に向かって、こんな口をきく子ではなかったはずだ。

「お母様やお祖母様にも謝って下さい」

龍一は静かに答えた。

「俺は間違ったことを言ってるつもりも、しているつもりもない。

一日も早く戦争は終わらせるべきだ … それがお前たちのためでもあるんだ」


* * * * * * * * * *

「僕たちのため?」

「ああ、そうだ」


それを聞いて純平は激昂した。

「僕の将来の夢は、あなたのせいで断たれたんです!」

「止めなさい、純平」


蓮子が諌めたが、純平の怒りは治まらなかった。

「この人のせいで僕は士官学校の受験をあきらめざるをえなかったんだ!

… あなたが日本を裏切って、敵と妙な取引を企てたりするから」

「人を殺すために、戦地で無駄死にさせるために … お前を育ててきた訳じゃない!」

「お国のために命を捧げることは無駄なんかじゃありません!」


龍一は立ち上がって純平の胸倉をつかんだ。

「ふたりとも止めてください!」

にらみ合っているふたりの間に蓮子は割って入った。

純平は部屋を飛び出して行ってしまった。

富士子がまた声を上げて泣き出した。

浪子は辛そうに唇をかみしめている。

蓮子はやるせない思いに耐えながら、富士子を抱きしめた。

* * * * * * * * * *

「蓮子さん、申し訳ないね … 」

夕餉の準備に台所に立っていた蓮子に浪子が詫びてきた。

「私には龍一の考えてることがさっぱり分からない」

「お義母様 … 」


蓮子は弱音を吐く姑をはじめて見た。

「あんな息子に尽くしてくれて、ありがとうね ~ 蓮子さん」

そんなことを言われたのもはじめてなので、困惑してしまった。

「あんたがこの家に来たばっかりの頃は、とても長続きはしないだろうって思ってたけど … あんな息子を支えて、よく働いて、ちゃんと孫を立派に育ててくれて … あなたはいい嫁だよ」

浪子のその言葉で蓮子はすべての苦労が報われた気がした。

「龍一のこと、見捨てないでやって下さいね … お願いします」

また深く頭を下げた。

「お義母様、ええ … 」

蓮子は浪子の手を握って何度も何度もうなずいてみせた。

* * * * * * * * * *

1939年(昭和14年)・秋。

< この年の9月、ヒットラー率いるドイツ軍のポーランド侵攻を契機に、イギリス、フランスなどの連合軍がドイツに宣戦を布告 … 第二次世界大戦がはじまっておりました >

そんなある日、スコットが花子の元を訪れた。

「(カナダも大変な状況ではないですか?)」

「(ええ、先の大戦よりも厳しい状況のようです)」


花子の質問に、スコットは深刻な顔で答えた。

「はな … (私もいよいよカナダへ帰ることになりました)」

「(そうですか … 寂しくなります)」


秀和のカナダ人教師のほとんどがすでに日本を離れていた。

スコットは持参した本を取り出しながら言った。

「(日本を離れる前に、あなたに渡したい本があります)」

花子はその本を受け取った。

* * * * * * * * * *

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… 本の題名だった。

< 花子はついに、あの本に出合いました。

… ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月03日 (水) | 編集 |
第135回

昔の仲間と共に秘かに和平工作を企てていた龍一は、突然乗り込んできた吉太郎が率いる憲兵隊に連行されて行ってしまった。

心配して宮本家に駆けつけた花子と英治だったが、取り乱した蓮子から、龍一のことを密告したのではないかと一方的に責められ、締め出されてしまった。

* * * * * * * * * *

仕方なく家に戻ったが、花子の不安は募るばかりだった。

「 … どうなるのかしら?」

「僕は、お義兄さんの忠告に従った方がいいと思う。

これ以上深入りしたら、君まで巻き込まれるよ」


英治が一番懸念するのはそのことだった。

花子は美里の寝顔を見つめた。

自分に何かあったら、美里はどれほど悲しむだろうか … 何より、子供たちの夢を守るという目的もかなわなくなるだろう。

* * * * * * * * * *

蓮子は差し入れを持って、龍一の面会を求めたが、受け入れてはもらえなかった。

「家族にも会わせてもらえないなんて … 」

「すみません」
 

嘆く浪子に蓮子は頭を下げた。

「お母様が謝ることなんてない … 悪いのは、お父様だ」

軍国少年である純平は、国賊呼ばわりされている父のことが許せなかった。

そんな純平を蓮子は呆然と見つめた。

「 … 皆さんは、戦地の兵隊さんが安心して戦え、誉の凱旋が出来ますように、おうちのお手伝いをし、しっかりお勉強をいたしましょう。

それでは皆さん … ごきげんよう、さようなら」


ラジオからは、花子の放送が流れていた。

* * * * * * * * * *

一方、花子も『コドモの新聞』で戦争や軍隊のニュースばかりを読まされることに疑問を抱いていた。

放送を終えた後、このまま自分が語り手を続けていくべきかどうか、黒沢に投げかけた。

「私は子供たちがワクワクするような話がしたくて、この番組をお引き受けしました。

これ以上、戦争のニュースを読み続けるのなら、私ではなく有馬さんおひとりで読まれた方がよろしいんではないでしょうか?」


そんな花子に黒沢は切実な顔で答えた。

「子供たちは、村岡先生の『ごきげんよう』を待っているんです。

『ごきげんよう』という先生の挨拶を聞くために、ラジオの前に集まってくるんです。

こういう時だからこそ、僕は村岡先生の『ごきげんよう』が子どもたちの心を明るく照らすのだと思います」

「黒沢さん … 」

「どうか続けてください … お願いします」


黒沢に頭を下げられ、花子は何も言い返せなくなってしまった。

* * * * * * * * * *

ラジオを聴いている子供たちから花子宛てに届く手紙は一向に減ることはなかった。

皆、それだけ『ラジオのおばさん』の話を楽しみにしているのだ。

手紙を読むたびに花子の葛藤は強まっていった。

花子が書斎で手紙に目を通していると、英治が蓮子から電話がかかってきたことを伝えた。

* * * * * * * * * *

花子が、呼び出されたカフェータイムを訪れると、蓮子はまず申し訳なさそうに頭を下げた。

「はなちゃん、この間はごめんなさい。

龍一さんが連れて行かれて、あの日はすっかり取り乱していて … はなちゃんが密告なんてする訳ないのに、本当にごめんなさい」

「いいのよ … 私こそ、何にも力になれなくてごめんなさい」


花子が他の客を気にしながら、龍一のことを尋ねると、蓮子は首を振った。

「差し入れを持って会いに行ったけど、会わせてもらえないの」

蓮子はすがるような目で花子に言った。

「お願い、はなちゃん、吉太郎さんに頼んで、龍一さんがどんな状況か聞いて欲しいの。

できれば、これも渡して欲しいの」


傍らに置いてあった風呂敷包みを取り出した。

「疑われるようなものは入ってないわ。

着替えと、彼の好きなランボーの詩集よ … それから、私と富士子からの手紙」

「手紙はすべて読まれてしまうわ。

蓮様のことだから、きっと熱烈な恋文なんでしょ?」


元気づけようとした花子の軽口に応える余裕もなく蓮子はうつむいてしまった。

「分かったわ … 兄やんに頼んでみる」

「ありがとう」


礼を言いながら、蓮子は風呂敷包みを抱きしめていた。

* * * * * * * * * *

「こんなに思ってくれる奥様がいるのに … どうして龍一さん、そんな危険な活動に加わってしまったのかしら?」

ところが、花子がふと漏らした疑問に蓮子から返ってきたの意外な言葉だった。

「でも、龍一さんは間違ったことはしていないわ。

あの人は、誰よりも子供たちの将来のことを考えているわ … だから、今の国策に我慢できないのよ」


蓮子は花子が先日、ラジオで言っていたことに触れた。

「 … まるで、みんな頑張って強い兵隊になりましょうって聞こえたわ」

花子は弁解しようとしたが、蓮子は構わずに続けた。

「はなちゃんも、誰かに読まされているんでしょう?

… そうやって、戦争をしたくて堪らない人たちが国民を扇動しているのよ」


興奮して、声が大きくなってきた蓮子を花子は慌てて嗜めた。

店にはふたりの他にも客がいるのだ。

「私は戦地にやるために、純平を産んで育ててきたんじゃないわ」

カウンターに居た客たちが、そそくさと勘定を済ませて店を出て行ってしまった。

* * * * * * * * * *

「はい、美味しいコーヒーを淹れましたよ ~ 姉やんにはサイダー」

ふたりのテーブルに運んできたかよに花子は謝った。

「 … お客さん、帰っちゃったわね」

「ごめんなさい、かよさん」


かよは笑いながら答えた。

「いいえ、どうぞごゆっくり … 誰も居なくなったから、大きな声で話しても大丈夫ですよ」

悪戯っぽく言うとカウンターの奥へと戻っていった。

* * * * * * * * * *

かよには謝罪の言葉を口にしたが、蓮子は決して納得してはいなかった。

コーヒーカップに口をつけながらも花子と目を合わせようとしない。

「蓮様、さっきのような考えを口にするのは、今は慎んだ方がいいと思うわ。

蓮様まで捕まったらどうするの?」

「 … はなちゃんは本当はどう思ってるの?

ラジオのマイクの前で、日本軍が何処を攻撃したとか、占領したとか、そんなニュースばかり読んで …

ああいうニュースを毎日毎日聞かされたら、純粋な子供たちはたちまち感化されてしまうわ。

お国のために命を捧げるのが、立派だと思ってしまう」


花子はまさに葛藤していたことを蓮子に突かれた。

「私だって戦争のニュースばかり伝えたくないわ。

でも、こういう時だからこそ、子供たちの心を少しでも明るくしたいの。

私の『ごきげんよう』の挨拶を待ってくれる子供たちがいる限り、私は語り手を続けるわ」


* * * * * * * * * *

「そんなのは偽善よ」

蓮子はきっぱりと強い口調で言い切った。

「優しい言葉で語りかけて、子供たちを恐ろしい所へ導いてるかもしれないのよ」

「そんな …

私ひとりが抵抗したところで、世の中の流れを止めることなんか出来ないわ」


花子は切々と蓮子に訴えた。

「大きな波が迫ってきているの。

その波に飲まれるか、乗り越えられるかは、誰も分からない。

私たちの想像をはるかに超えた大きい波なんですもの … 私もすごく恐ろしい、でもその波に逆らったら、今の暮らしも何もかも失ってしまう。

大切な家族さえ、守れなくなるのよ」


* * * * * * * * * *

蔑むような目で花子を見た蓮子はおもむろに席を立った。

「やっぱりもう、うちの家族とは関わらない方がいいわ。

こんなこと頼んだ私が間違ってた … 忘れてちょうだい」


そう言うと、自分の勘定をテーブルに置き、風呂敷包みを掴んで出口に向かった。

花子は慌てて呼び止めた。

「待って … 私は蓮様が心配なの。

真っすぐで危なっかしくて」

「はなちゃん、心配ご無用よ」


蓮子はゆっくりと花子を振り返った。

「私を誰だと思っているの?

華族の身分も、何もかも捨てて駆け落ちした … 宮本蓮子よ」


* * * * * * * * * *

「私は時代の波に平伏したりしない。

世の中が何処に向かおうと、言いたいことを言う … 書きたいことを書くわ」


蓮子は誇らしげに口にしたが、花子には精一杯、気を張りつめて無理しているのがよく分かった。

しかし、蓮子というのはそういう女性だということを花子は忘れていたのかも知れない。

「あなたのように卑怯な生き方はしたくないの」

決定的な言葉を蓮子は口にした。

花子は腹心の友に『卑怯』呼ばわりされた怒りよりも大きな悲しみに苛まれた。

「そう … 分かったわ」

* * * * * * * * * *

「 … 私たち、生きる道が違ってしまったわね。

これまでの友情には感謝します」

「ええ」


かよはかける言葉もなくふたりを見守っていた。

「さようなら」

「お元気で … 」


静かに店を出て行く蓮子の背中を花子はただ見送った。

< ふたりの道はもう交わることはないのでしょうか?

… ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月02日 (火) | 編集 |
第134回

時代の空気が、きりきりと緊張していく日本 … ブラックバーン校長は花子に自分の夢を託して、祖国カナダへと帰って行った。

その夜、村岡家を訪れた吉太郎は、しばらく蓮子の家に近づくなと、花子に釘を刺した。

* * * * * * * * * *

「お客さん、誰だったの?」

風呂から上がってきた英治に花子は訪問者が吉太郎であったことを告げた。

「蓮様の家にはしばらく近づくなって、それだけ言って …

どういう意味かしら?」

「何か言えない事情があるんじゃないかな … 憲兵の任務上のことじゃないのか」


英治の推測に、花子は蓮子から龍一が日中戦争を終わらせるための活動に関わってると訊いたことを思い出した。

「わざわざ言いに来るなんて、多分よっぽどのことだ」

不安が募った花子は蓮子に電話をかけようとしたが、夜遅いからと英治に窘められ留まった。

< 蓮子と龍一の身に何か大変なことが降りかかろうとしているのでしょうか? >

* * * * * * * * * *

翌日になり、花子は待ち構えていたように蓮子に電話をかけた。

電話に出た蓮子の様子はいたっていつもと変わりはなかった。

「はなちゃんが電話をくれるなんて珍しいわね ~ どうしたの?」

「あっ … 

美味しいきんつばがあるから、もしよろしければ家にいらっしゃらない?」


花子は咄嗟にそんなことを口にしてしまった。

「今日は私、ラジオの仕事もないの。

よろしければ、龍一さんたちもご一緒に」

「まあ、うれしい ~ じゃあ、お言葉に甘えてお昼過ぎに伺わせていただくわ」


* * * * * * * * * *

「花子さん … 」

英治は電話を切った花子を咎めた。

「あっ、きんつば買ってこないと」

「そう言う問題じゃないだろ?」

「 … 蓮様のおうちに行くなとは言われたけど、呼ぶなとは言われてないもの」


屁理屈を言いながら出て行く花子を英治は呆れ顔で見送った。

* * * * * * * * * *

「これ、美里ちゃんにあげるの」

宮本家の居間では、富士子がべっ甲飴が入った器を蓮子に見せて楽しそうに笑っていた。

「そう、美里ちゃん喜ぶわね」

「お父様も花子さんのおうちに行きましょうよ」


富士子は龍一を誘ったが、やらなければいけない仕事があると言って断られてしまった。

「お父様はお忙しいのよ ~ さあ、支度していきましょう」

不満顔の富士子を蓮子が宥めていた時のことだ。

誰かが玄関の戸を叩くのが聞こえた。

* * * * * * * * * *

戸を開けた蓮子の表情が一瞬強張った … 玄関の前には数名の憲兵が立っていたからだ。

なおかつ、指揮官と思しき男は吉太郎だった。

「宮本龍一さんはご在宅ですか?」

吉太郎は静かな声で訊ねた。

「 … ええ、居りますけれど」

「失礼します … 宮本さん!」


龍一の名を呼んだ吉太郎が合図すると、部下たちは土足のまま家に上がり込んできた。

部下のひとりが富士子とぶつかり、手にしていたべっ甲飴が床に砕け散った。

* * * * * * * * * *

「宮本!」

龍一は逃げ出したが、数名の憲兵たちに囲まれて蓮子と富士子の目の前であっという間に取り押さえられてしまった。

「お父様!」

「龍一!」


吉太郎は龍一の前に無言で立ちはだかった。

呆然とした顔で吉太郎を見つめる龍一。

「吉太郎さん、一体どういうことですか?

主人が何かしたとでも … 説明してください」


* * * * * * * * * *

「宮本龍一さん、和平工作の一件で確かめたいことがあります。

憲兵隊までご同行願います」


冷静沈着に告げた。

「 … 調べはついています。

仲間と大陸へ渡る計画をしていることも」


龍一は観念したのか抵抗するのを止めた。

「龍一、本当なの?

仕事で行ってたのってのは、ウソだったのかい?!」


責める浪子に龍一はうなずいた。

「何が悪い?

こんな戦争は、さっさと止めさせるべきなんだ!」

「では、申し訳ありませんが、家の中を調べさせていただきます」


吉太郎は龍一を受け取ると部下に指示を与えた。

「な、何をするんですか?!」

部下たちは龍一の書斎の机や本棚にある書籍などをしらみつぶしに調べ始めた。

* * * * * * * * * *

「お母様」

「大丈夫よ、富士子 … 大丈夫」


怯える富士子を蓮子は抱きしめた。

吉太郎は龍一を廊下の隅へ連れて行くと壁に押し当てた。

「あなたは何をやってるんだ?

蓮子さんや子供たちのことを考えたらどうだ … 何よりもまず守るべき人たちがいるだろう?」


怒りと悔しさに満ちた目で龍一をにらみつけた。

「 … この国は、どんどんおかしくなっていく。

それを止めずに、妻や子供を守れるか?!」


龍一も負けじと吉太郎をにらみ返したのだった。

「連行せいっ!」

* * * * * * * * * *

< 宮本家がそんな騒ぎになっているとは夢にも思わず、花子は蓮子を待っておりました >

約束した昼を過ぎても一向にやって来ない蓮子たち。

花子は何度も時計を見たり、立ったり座ったりと落ち着かなかった。

「 … そんなに心配なら、電話してみたら?」

見かねたももに言われ、花子はうなずき受話器を取った。

* * * * * * * * * *

「離せ … 逃げも隠れもしない」

連行されていく龍一は、落ち着き払った口調で言った。

吉太郎が許すと、部下の憲兵たちは龍一を掴んでいた手を緩めた。

「龍一さん … 」

蓮子は悲しみと不安が混じった顔で龍一を見つめている。

「心配するな … すぐに帰って来る。

母さんと子どもたちを頼む」


今はただ、龍一の言葉を信じてうなずいた蓮子だった。

憲兵に促されて玄関を出て行く龍一。

「主人をどうするんですか?」

後に続く吉太郎に向かって蓮子は投げかけた。

「申し訳ありませんが、お答えできません … 失礼」

* * * * * * * * * *

いくら呼び出しても誰も電話には出ない。

花子はどうしようもない胸騒ぎに苛まれながらも、あきらめて受話器を置いた。

「蓮様 … 」

* * * * * * * * * *

龍一が憲兵たちに家の外に連れ出された時、学校から帰って来た純平がその場面に遭遇した。

「お父様?!」

その声に気づいた龍一が純平の方に目をやった。

憲兵に急かされて、龍一が歩き出すと、家の中から富士子、浪子そして蓮子が飛び出してきた。

「お父様!」

「龍一!」


雄一は立ち止まり振り向いた。

「国賊め!」「非国民!」「この売国奴!」

騒ぎを聞きつけて集まったやじ馬の中から龍一に向かって非難の声が飛んだ。

ふたたび歩き出した龍一と目があった純平は思わず目をそらしてしまった。

吉太郎は最後に蓮子たちに向かって一礼すると立ち去っていった。

* * * * * * * * * *

「 … お母様、どういうことですか?」

蓮子に駆け寄った純平は困惑した顔で訊ねた。

「お父様は何故、憲兵に?」

「純平 … 」


蓮子とて純平の疑問に答えられるほどのことは何も知らされてはいないのだ。

「憲兵に連れて行かれるなんて、お父様は一体何をしたんですか? 」

「お父様は … 」

「お父様は国賊なんですか?!」


蓮子は悲しげな顔で純平を見つめることしかできなかった。

* * * * * * * * * *

「あれ、蓮子さん来なかったのか?」

仕事を終えた英治が居間の座卓に出したままになっているきんつばを見て花子に訊ねた。

「ええ、電話しても誰も出ないの。

… 何かあったんじゃないかしら?」


英治と話しているうちに花子は居ても立ってもいられなくなってきた。

バッグを手に取ると、台所のももに声をかけた。

「もも、ちょっと美里、お願い」

蓮子の家まで様子を見に行くと言う。

「花子さん … 」

こうなってしまったら、花子は決して言うことはきかない。

英治も、ももに頭を下げ後を頼むと花子と一緒に家を出た。

* * * * * * * * * *

ふたりが宮本家の前まで来た頃、空は今にも降り出しそうな雲行きになっていた。

遠雷も聞こえる。

戸が開いたままの玄関から、中を覗くと … 玄関に蓮子がぼんやりと座っていた。

「蓮様 … 蓮様どうしたの?!」

「何かあったんですか?」


すると蓮子はふたりから目をそらした。

「 … さっき、吉太郎さんがいらしたわ」

「兄やんが?」


驚く花子。

「龍一さんを連れて行ったの」

遠雷の音が次第に近づいてきて、稲光が光った。

* * * * * * * * * *

「はなちゃん、吉太郎さんに話したの?」

蓮子は責めるような目で花子をにらみつけた。

「え?」

「龍一さんのこと何か話したんでしょう?」


花子は蓮子が言っている意味が理解できなかった。

「はなちゃんのこと信じていたのに!」

確かに花子は蓮子から龍一が昔の仲間たちと戦争を終わらすための活動をしているという話は聞いた。

しかし、それは誰にも口外などしてはいなかった。

「蓮様?!」

雷の音が響いて、にわかに雨が降り出した。

「私は … 私は何も」

「誤解です。

約束の時間にいらっしゃらないし、電話もつながらないので、花子は心配してこちらに … 」


しかし、蓮子の花子に対する不信は消えることはなかった。

腹心の友である花子がそんなことをするはずがないことさえ、今の蓮子には分からないほど取り乱しているのだ。

そこへ、家の奥から浪子が飛び出してきた。

「お帰り下さい」

ふたりの目の前で玄関の戸をぴしゃりと閉めてしまった。

どしゃ降りの雨の中、立ちつくす花子と英治だった。

< … ごきげんよう、さようなら >

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2014年09月01日 (月) | 編集 |
第133回

< 中国との戦争が続き、国民は総力を上げて軍事体制に協力することを求められておりました。

花子が語り手を務める『コドモの新聞』のニュースも、軍事に関するものが大半を占めるようになりました >

従軍作家として戦地に赴くことになった宇田川満代の壮行会に招待された花子はただただ戸惑うだけだった。

< 戦争の足音は、確実に近づいておりました >

* * * * * * * * * *

1938年(昭和13年)・夏。

「いやあ、女流作家で一番に戦地に乗り込まれるなんて、さすがは宇田川先生です」

「長谷部先生のお言葉通り、国民の士気を高める記事をどしどし書き、送りますわ」


編集者の賛辞に満代は誇らしげに答えている。

「ごめんなさい、ご結婚の報告じゃないかなんて、浮かれたこと言ってしまって」

亜矢子が申し訳なさそうに花子と蓮子に謝った。

「私、恥ずかしいわ … なんてご立派なのかしら。

実は私も、機会があれば戦地に赴きたいと思っているの」


亜矢子の口から出た言葉に花子は我が耳を疑った。

「醍醐さん、本気なの?」

「ええ、実際に戦地へ行って、この目で確かめないと分からないことがたくさんあると思うの」


花子たちのテーブルに満代と汀がやって来た。

「この戦時下において、表現者なら当然のことよ」

「醍醐さん、次のペン部隊にあなたを推薦しておきましょう」


汀の言葉に亜矢子は感激している。

* * * * * * * * * *

「白蓮さんは相変わらず、恋愛や家族愛を讃える歌を詠んでいらっしゃるの?」

満代はあたかも蔑むような目で蓮子を見た。

「もう今はくだらない恋愛なんか、書いている場合じゃないと思いますけど」

蓮子は毅然と反論した。

「 … どんな時代でも、人は恋をします。

戦争の真っただ中でも、人は誰かを愛します … 宇田川先生だって、あんなに瑞々しい恋愛小説を書いていらしたじゃないですか?」

「今は色恋なんかよりも、お国のために作家として何が出来るかを考えるべきでしょう?」


満代の言っていることはまるで漆原と同じだった。

「そうでしょうか?」

花子はことを荒立ててはいけないと、ひとまず蓮子を嗜めた。

すると、汀が花子に訊ねた。

「村岡さんは、どうお考えになって?

あなたはラジオで子供たちに語りかけているから、世の中への影響も大きいわ。

… 子供たちを立派な国民に育てるために、どんなお考えをお持ちか聞いておきたいわ」


* * * * * * * * * *

「私は … 子供たちの夢を守りたいんです。

今の日本の状況で、そんな悠長なことは言ってられないかも知れません … けれども、いつの時代も子供たちは美しい夢を持っています。

その夢を大人たちが奪ってはならないと思うんです」


花子の言葉に蓮子はうなずいている。

「ラジオのおばさんがどれほど立派なご意見をおっしゃるかと思ったら … この戦時下に夢ですって?!

時代が変わってもあなたは、ミミズの女王の頃から進歩してないのね」


満代は端から花子を小ばかにしていた。

「村岡さん、この国の将来を思う気持ちは私も同じです」

汀のその言葉に花子がホッとしたのも束の間だった。

「そのためには日本がより強い国にならなければ … 大人も子供もお国のために一致協力することです!」

「その通り!」


周りの編集者たちが歓声を上げ、店内から拍手がまき起こった。

* * * * * * * * * *

「 … お先に失礼するわ」

蓮子は花子に耳打ちすると、逃げるかのように店を出てしまった。

「あっ、蓮様!」

花子も慌てて蓮子の後を追って外に出た。

「何故、皆さん、あんな風にひと色になれるのかしら?」

蓮子の言葉に花子は店内を振り返った。

♪ 火筒の響き遠ざかる 跡には虫も声たてず  吹きたつ風はなまぐさく  くれない染めし草の色 …

外まで、一同が合掌する婦人従軍歌が聞こえてくる。

「ああなれたら、きっと楽でしょうね … でも、私はついていけないわ。

婦人参政権の活動では共鳴できたけど、もうあの先生方とはご一緒することはないと思う」


蓮子は厳しい目で彼女たちを見つめた。

花子は … かける言葉が見つからず、立ち去る蓮子の背中を見送るだけだった。

* * * * * * * * * *

「蓮子さん、途中で帰っちゃったのか … 」

帰宅した花子から話を聞いた英治は声を曇らせた。

「私も考えてしまったわ、このままでいいのかしら?

子供たちの夢を守るって、どういうことなのか、分からなくなってしまって … 」

「あんまり悩まないで」


無理に笑顔を作った花子を見て、英治は立ち上がった。

そして、居間の隅に置いてある蓄音機のレコードに針を落とした。

優雅な音楽が流れ出し、英治は花子に微笑んだ。

「花子さん、踊っていただけませんか?」

手を差し伸べられた花子は、一瞬唖然として英治の顔を見たが、促されて手を取ると立ち上がった。

ふたりは音楽に合わせて踊った。

< 時代の空気が、きりきりと緊張していく中 … 花子と英治は、こんなひとときを大切にしていました >

「お父ちゃまとお母ちゃまいいな ~ 」

音楽を聞きつけて飛んできた美里が笑顔で見ている。

「じゃあ、3人で踊ろうか?」

美里はうれしそうに、英治と花子の間に入って手をつなぐと、3人が輪になってゆっくりと回りはじめた。

親子3人の楽しそうな声に村岡家が包まれた。

* * * * * * * * * *

< そんなある日のこと >

ブラックバーンがスコットを伴って、村岡家を訪れた。

ちょうど、在宅していた英治も花子と一緒にふたりを出迎えた。

「僕は昔、秀和女学校に辞書を借りに行って … 」

英治がカタコトの英語で、不審者と間違われてかをる子に投げ飛ばされた思い出話を語ると、ブラックバーンは笑いながら答えた。

「(あなたの英語は上達しましたね)」

「Thank you … 思い出していただけたみたいだ」


英治はホッとしながら花子の顔を見た。

* * * * * * * * * *

「(ブラックバーン校長は、カナダに帰国なさいます。

はなにお別れを言いに … )」


スコットが突然の訪問の理由を説明した。

「(私ももうおばあさんですから … )」

「(寂しくなります)」


ブラックバーンは今まで見せたことのないような優しく愁いを帯びた顔で花子を見た。

「(この先、国と国はどうなるか分かりませんが … ただひとつ、私たちは永遠に友達です)」

美里に訊かれて、花子はブラックバーンの言葉を訳して伝えた。

「(私はどこにいても、あなたたちの幸せを心から祈っています。

… あなたの翻訳はふたつの国の友情のシンボルです)」


花子は感激しながら答えた。

「(ブラックバーン校長のお言葉は、いつも私のここにあります)」

そう言って花子は自分の胸に手を当てた。

「(最上のものは過去ではなく … 将来にある)」

ブラックバーンは顔をゆがめて立ち上がると、花子に近づき、その両手を握りしめた。

「( … あなたが私の夢を引き継いでください)」

涙をためた目で花子を見つめながら言った。

「(この国の人々に愛と平和を … )」

花子も目頭を熱くしながら、しっかりとうなずいてみせた。

* * * * * * * * * *

< その夜のことでした >

夜も大分更けた頃、村岡家の玄関を叩く者がいた。

「 … こんな時間に誰かしら?」

書斎で仕事をしていた花子が不安に思いながら、応対に出ると … 訪問者は吉太郎だった。

「どうしたの?」

「すまない、こんな時間に … ちょっと話しておきたいことがあってな」


花子は家に上がるように勧めたが、吉太郎は「すぐに帰るから」と、辺りを気にしながら戸を閉めると、その場で話しはじめた。

「はな、最近蓮子さんに会ったか?」

「ええ、この間、かよのお店で … 」

「何か変わった様子はなかったか?」


花子は帽子を深めにかぶっている吉太郎の顔を覗きこんだ。

「兄やん、蓮様がどうかしたの?」

「 … 明日からしばらく蓮子さんの家には近づくな」

「どうして?」

「何でもいい … ここは俺の言う通りにしておけ。

分かったな?」


吉太郎は花子に質問する余地を与えずに、そのまま帰ってしまった。

「蓮様 … 」

< 蓮子の身に何か大変なことが迫っているのでしょうか?

… ごきげんよう、さようなら >

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